ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)
ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)
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ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)

1973年12月22日公開、112分
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イエス・キリストの最後の7日間を描き、3年前から世界的にレコード、舞台がヒットしているロック・オペラの映画化。製作はノーマン・ジュイソンとロバート・スティグウッド、監督は「屋根の上のバイオリン弾き」のノーマン・ジュイソン、脚本はジュイソンとメルヴィン・ブラッグ、原作・作詞はティム・ライス、作曲はアンドリュー・ロイド・ウェバー、撮影はダグラス・スローカム、編集はアンソニー・ギブス、振付はロブ・イスコーヴが各々担当。出演はテッド・ニーリー、カール・アンダーソン、イボンヌ・エリマン、ロバート・ビンガム、カート・ヤハジアン、バリー・デネン、ジョシュ・モステル、フィリップ・トウバス、ローレンス・マーシャルなど。

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ストーリー

<序曲> ここは暑熱のナゲブ砂漠、そこに鉄製の足場が築かれていた。遥か遠くに砂埃が舞い上がり、その中から1台のバスが現われた。バスには50人の若者の他、衣装や小道具が山と積まれ、屋根には大きな十字架がのせられていた。若者たちは各々衣装をつけ始めた。その中には短いヒゲをはやしたテキサス人がいた。この作品でイエス・キリストに扮するテッド・ニーリーである。 <彼らの心は天国に> ユダヤの荒野でユダ(カール・アンダーソン)が1人ぼっちで考えてる。使徒の1人がイエスにユダの思い上がりを改めさせるように頼むが、すでに2人は遠く離れすぎていた。 <なにがおこるのですか> 寺院のような地下のほら穴で、使徒や女たちが、エルサレムへ行くまでのことを心配してイエスを悩ませた。彼らには何も分かっていない。分かっていたのは、イエスの額の汗をぬぐっているマグダラのマリア(イボンヌ・エリマン)だけだった。 <はっきりさせよう> その頃、カヤパ大司祭の家を司祭長のアンナスが訪れて談合をしていた。ガリラヤからきた男をほっておくことはできない。ここの法と秩序は彼らなのだ。そして彼らはついに決心した。 <イエスは死ぬべし> 廃虚の足場の上で、長老たちが協議し、カヤパ(ロバート・ビンガム)からの指示を待っていた。この”バカものどもの英雄”は危険である。人々をこれほど狂信的にさせる以上、衛兵を呼ぶ必要があるかも知れない。しかしカヤパの宣言はもっと徹底していた。”イエスは死ななければならない” <熱心党シモン> イエスの1番の指示者はシモン・ゼラト(ローレンス・マーシャル)である。人々が熱狂的になるように仕向け、イエスには布教に政治を盛り込むようにすすめる。 <ピラトの夢> 総督ピラト(バリー・デネン)は恐るべきガラリヤびとのために、彼が持つ政治権力をむしばまれていた。 <私はイエスが分からない> 自分を慕う者たちへの心労、敵からの脅威、ハンセン病たちの扱いなどに疲れ果てたイエスは、野営地に帰ってマリアの世話を受けた。彼が眠りにおちると、マリアはこの不思議な男への愛を感じた。傍にいるだけで、自分は別人になったような気がするのだ。 <裏切・血の報復> ユダが砂漠にうずくまっていた。突然、戦車が現われ、おりたったカヤパやアンナスが彼に金をやるからイエスの居所を教えるようにといった。火曜日の夜、イエスはゲッセマネの園へ行くだろうと答えた。 <ゲッセマネの園> イエスは世俗にまみれた低地を離れ、神のみ心を求めて山頂へ登った。彼を待ち構えていた兵士たちはイエスをカヤパの家へ引き立てた。 <ユダの自殺> 裁きを待つイエスの姿に接し、ユダは後悔の念におそわれた。銀貨30枚をほうりだし、丘の上の木に登って首を吊ってしまった。 <スーパースター> 兵士たちがイエスを処刑場に引き出した。音楽が鳴り、幻想が現実を吹き払い、イエスの姿が神々しく変身し、天からおりてきたユダが闇夜に現われた。 <磔>イエスはこづかれ、あざけられながら十字架を磔の地に運ぶ。兵士たちは笑い、マリアや使徒たちは泣いている。しかし、イエスはもう神と2人きりだった。 <ヨハネ伝第19章41節> 一座の者たちが帰ってきた。全員が自分の演技に感動していたが、イエス・キリストに扮した若者だけは違っていた。

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作品データ

原題
Jesus Christ Superstar
製作年
1973年
製作国
アメリカ
配給
CIC
初公開日
1973年12月22日
上映時間
112分
製作会社
ユニヴァーサル映画作品


[c]キネマ旬報社