とらんぷ譚:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
とらんぷ譚
とらんぷ譚
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とらんぷ譚

1939年3月16日公開、81分
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フランス劇壇の異彩で、今日では映画界にも独歩の地位を占めているサッシャ・ギトリーが自作の小説『詐欺師の物語』を自ら脚色・監督・主演したもので、彼の第二回のトーキーである。そして全篇彼のモノローグによって筋を運んでいる異色作品である。ギトリー以外の出演者は彼の夫人で彼と度々共演しているジャックリーヌ・ドゥリュバック「乙女の湖」「或る映画監督の一生」のロジーヌ・ドレアン、「巨人ゴーレム(1936)」「隊長ブーリバ」のロジェ・デュシェーヌ、「望郷(1937)」のフレール、新人ピエール・アッシィ、「コゼットの恋」のマルグリット・モレノ、「上から下まで」のポーリーヌ・カルトン、「最後の戦闘機」のセルジュ・グラーヴ少年、「夜の空を行く」のピエール・ラブリ、ガストン・デュプレー等である。音楽はアドルフ・ボルシャール、撮影はマルセル・リュシアン、装置はピエール・メネシエが担当している。なお日本版はギトリーに代わって徳川夢声がモノローグを受け持っている。

ストーリー

「世は逆ま」と人は云うが、この言葉を身を以て体験した男が僕である。変転極まりなき四十年の生涯は、先ず僕が十三歳の時に始まった。僕の家は村の雑貨商だった。或日ビー玉を買いたい一心で八銭を盗んだところ、カンカンに怒った父は「盗人した奴には飯なんか食わさない」と怒鳴った。そして僕は其の時の御馳走であった茸を喰わして貰えなかったが、間もなく僕を除いた十一人の大家族が一朝にして死んでしまった。その茸たるや恐るべき毒茸だったのである。そこで僕は次の結論に達した。即ち「俺は盗みをしたから命が助かった」と。僕は貪慾な叔父夫婦の家に引き取られたが、或夜そこを逃げ出して先ずレストランのボーイ、次にホテルのボーイとなって初めて「金持ち」と称する人種を発見した。かくて僕は十七の時、憧れのパリへ行ってレストランに勤めたが、皿洗いの青年に惹きずられて、彼の恐るべき犯罪の計画に捲き込まれた。しかし彼等一味は犯行直前に一網打尽となったが、僕が密告した事にはよもや彼等も気付かなかったろう。その冬僕はモナコへ行ってホテルのエレヴェーター・ボーイとなった。その頃僕はつまりその人生の春を知った。相手はずっと年上の伯爵夫人で、僕に記念の金時計を呉れた。そうこうする中に徴兵適齢に達して三年間を兵営で送ったが、除隊すると再びモナコへ帰って、不正直では有り得ない職業、即ち賭博台取締になった。その為に僕はモナコへ帰化したのだが、世界大戦が始まるとフランス政府は僕のモナコ帰化を認めず、僕は銃をとって戦線についた途端に負傷して後送された。其の時僕の命を救ってくれたシャルボニエも間もなく重傷を負った。傷の全治する迄僕は色んな本を読んで世界の種々な相に接した。そして退院して伸びた髯を剃ってみたら、驚くべし僕は若さをすっかり失っていた。ブラリと立ち寄ったホテルで天使の如き女と識り、暫くは彼女とのアヴァンチュールに陶酔したが、実は彼女は僕を利用して宝石泥棒を働いたのを知ったので、こっそりと彼女から逃げてモナコへ行き以前の職に戻った。僕の受け持ちのテーブルに席を取る一人の女が、じっと僕を見つめると、不思議に僕は必ず彼女の望む穴へ玉を入れる。僕は彼女一人に儲けさしておくのが惜しく、利益を分配するため彼女と形式的の結婚をしたが、すると今度は我々の儲けはおろか、僕は胴元を破産させて馘になり、二人は直ちに離婚した。かくて僕はイカサマ師たらん決心をした。本職のペテン師となって巨万の富を得た或日、例の女賊と別れた妻が一緒に居るのに会った。二人が僕だと気付かないままに、僕はかつて妻だった女の情夫となった。その後賭博台で大戦の時僕を救ったシャルボニエに逢った。彼と交際している内にイカサマでない賭博のファンとなり、僕の悪徳は消え去った代わりに、儲けた巨万の富は失ってしまった。その後、トランプの選別係という職も得たが、今は絶対に悪い事をなし得ない職業、即ち保安警察の役人となっているのである。

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作品データ

原題
Le Roman d'un Tricheur
製作年
1936年
製作国
フランス
配給
東和商事
初公開日
1939年3月16日
上映時間
81分
製作会社
トビス


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