科学者の道:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
科学者の道
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科学者の道

1935年公開、伝記
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「黒地獄」「ギャングの家」に次ぐポール・ムニ主演映画で、「 ギャングの家」「真夏の夜の夢」と同じくウィリアム・ディターレが監督にあたったもの。脚本はルイ・バスツールの伝記に基づいて「異人種の争闘」のシェリダン・ギブニーがピエール・コリングスと協力して執筆した。助演者は「支那ランプの石油」「忘れじの歌」のジョセフィン・ハッチンスン「真夏の夜の夢」「ロマンス乾杯」のアニタ・ルイズ、「ギャングの家」のレイモンド・ブラウン及びヘンリー・オニール、新顔のドナルド・ウッズおよびフリッツ・ライバー、ボーダー・ホール、子役ディッキー・ムーア等である。カメラは「小さい親分」「ギャングの家」のトニー・ゴーディオが受け持っている。

ストーリー

葡萄酒およびビールの貯蔵法を発見したフランスの科学者ルイ・ パスツールは、産褥熱のために産婦死亡が多いのを嘆き、医者の助産の際に、手と器具とを消毒すべし、とのパンフレットを出した。たまたま、産褥熱のために妻を失った男が、医者を殺した。パスツールはナポレオン3世と皇后の前に喚問され侍医頭シャルボンネの査問を受け、パリ追放を命ぜられた。普仏戦争の結果、フランスは共和国となりチエールが初代大統領となった。フランスはプロシヤに50億フランの賠償金を払わねばならぬ。しかも炭疽病が流行して牛と羊が少なからず斃死するありさまだった。ところが、アルボアだけでは家畜が健全だった。大統領はラディス、マルテルの二医師を派して調査させる。すると、パスツールが炭疽病の病原菌を発見し、血清を作ってアルボアの家畜に予防法を施していることが判った。ラディスは細菌の存在を信じず、アルボアが炭疽病の免疫地だと勝手に決める。若いマルテルはパスツールの娘アネットと恋仲となり、パスツール信者となった。その結果、シャルボンネの発議で実験が行われた。50頭の羊をアルボアに送り、15頭に血清を注射し、15頭をそのまま放置した。結果はパスツールの勝利でイギリスのリスターも実験を見に来て賞賛した。パスツールはその後狂犬病治療法を発見すべく助手のルウ医師およびアネットの婿となったマルテル医師と共に日夜研究に没頭した。苦心の末、病犬の唾液から採った毒液の培養に成功したが、病原菌を発見することが出来ず、焦慮していた。併しパスツールは病原菌の存在を信じて疑わず、この旨を医学協会雑誌に発表した。それは三度シャルボンネの反対に遭った。シャルボンネは、常時狂犬病の流行したロシアから来たザラノフと共にパスツールの研究所に来て、菌の存在せざる事を立証すると稱し、パスツール培養液を自らの腕に注射した。それを注射すれば24時間以内に死ぬ、とパスツールは言明したのだった。ところがシャルボンネは依然健康で、パスツールを詐欺師と嘲笑した。が、これこそパスツールには天啓だった。シャルボンネが注射した溶液は、狂犬から採取後約二週間を経たものだった。古い溶液は毒性が希薄なのだ。しからば古い溶液の注射で、病毒に対する抵抗力を培うことが出来るはずだ。パスツールは動物試験の結果これを実証した。そしてアルサスから狂犬に噛まれて治療を乞いに来た一少年に実験した。その結果は不明で、パスツールは病床に日夜つききりだった。その時、娘アネットが産気づき、あらゆる医師が都合悪く、シャルボンネね頼むほかはない。シャルボンネは、病原菌説は虚妄なり、との声明書に署名するなら助産してやる、という。パスツールは署名した。アネットは無事安産した。そして狂犬病の少年も快癒した。シャルボンネはかの声明書を破棄した。そしてパスツールはレジョン・ドヌール勲章を受けた。

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作品データ

原題
The Story of Louis Pasteur
製作年
1935年
製作国
アメリカ
配給
ユニヴァーサル支社輸入
初公開日
1935年
製作会社
ファースト・ナショナル映画
ジャンル
伝記


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