天国と地獄|MOVIE WALKER PRESS
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天国と地獄

1963年3月1日公開,143分
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エド・マクベイン原作“キングの身代金”を「椿三十郎」の小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明が共同で脚色、黒澤明が監督した刑事もの。撮影は「娘と私」の中井朝一と「ニッポン無責任時代」の斎藤孝雄。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

ナショナル・シューズの権藤専務は、大変な事件に巻込まれてしまった。明日まで五千万円を大阪に送らないと、次期総会で立場が危くなるというのに、息子の純と間違えて運転手の息子進一を連れていってしまった誘拐犯人から、三千万円をよこさないと進一を殺すという電話があったからだ。苦境に立った権藤は結局金を出すことになった。権藤邸に張りこんだ戸倉警部達は権藤の立場を知って犯人に憎しみを持った。金を渡す場所。それは、明日の第二こだまに乗れということだった。犯人は戸倉警部達を嘲笑するかのごとく、巧みに金を奪って逃げた。進一は無事にもどった。権藤は会社を追われ、債権者が殺到した。青木は進一の書いた絵から、監禁された場所を江の島附近と知って、進一を車に乗せて江の島へ毎日でかけていった。田口部長と荒井刑事は、犯人が乗り捨てた盗難車から、やはり江の島の魚市場附近という鑑識の報告から江の島にとんだ。そこで青木と合流した二人は、進一の言葉から、ついにその場所を探り出した。その家には男と女が死んでいた。麻薬によるショック死だ。一方、戸倉警部は、ある病院の焼却煙突から牡丹色の煙があがるのをみて現場に急行した。金を入れた鞄には、水に沈めた場合と、燃やした場合の特殊装置がなされていたのだ。燃やすと牡丹色の煙が出る。その鞄を燃やした男はインターンの竹内銀次郎とわかった。また共犯者男女ともかつてこの病院で診察をうけており、そのカルテは竹内が書いていた。今竹内をあげても、共犯者殺人の証拠はむずかしい。戸倉警部は、二人の男女が持っていた二百五十万の札が、藤沢方面に現われたと新聞に発表する一方、竹内には、二人が死んでいた部屋の便箋の一番上の一枚に、ボールペンで書きなぐった後を復元した、「ヤクをくれヤクをくれなければ……」という手紙を巧妙に渡して、腰越の家に罠を張って待った。そして、竹内には十人からの刑事が尾行についた。竹内は横浜で麻薬を買った。肺水腫に犯された二人が麻薬純度九〇%のヘロインをうって死なないはずがない。竹内はそのヘロインを今度は、伊勢崎町の麻薬中毒者にあたえてためそうというのである。果して一グラム包〇・三%を常用している中毒者は忽ちにしてショック死した。彼は薬の効果を確かめてから、二人の男女中毒者をおいておいた腰越の別荘に走った。そこには、すでに戸倉警部の一行が、ずっとアミを張って待っているのだ。

作品データ

原題
High and Low
製作年
1963年
製作国
日本
配給
東宝
上映時間
143分

[c]キネマ旬報社

  • rikoriko2255

    やまひで

    2.0
    2007/1/25

     ここはある靴会社の取締役の居間である。ゆったり間取りを取ったガラス窓からは港が見え、ここの雲上にいる人間は地界を見下ろせる位置にいるのである。この家の主人が三船・権藤であり、三船は職人からたたき上げてきた人間として無道徳な現代の企業戦士と戦う者である。そして今、三船はその努力が実ってようやくその靴会社の最高の権力の座につける一歩手前のところまで辿り着き、凱歌の美酒を飲まんとしていた。この、下界から隔離されたオリンポスの権力舞台劇の場は、突然に掛かってきた一本の電話で、地界と繋げられ、一転して犯罪劇の場へと変貌する。その電話の主は、息子を誘拐したから、三船はその身代金を支払えと、三船をあざ笑うように要求する。こうして、警察の人間を交えての、重苦しい室内劇が展開する。
     ここまでは良しとしよう。しかし、これは映画であって舞台劇ではない。そのスパンの取り方といって、また、よく練られた役者の立ち位置といい、何か演劇を見ている気はするが、映画を見ている気にはなれない。ストーリーには緊迫感があるが、映像構成に何か「さすが黒澤!」と言わせるものがない。こうして、新幹線こだま号を使った身代金の受け渡しを中に挟んで、映画は後半に入り、冷酷な知能犯・山崎を追及する話へと映画は展開していく。
     後半は、港のシーンと子供を監禁した高台の家のシークエンスを除くと殆どがセット撮影で、確かに現実感を出すようにはしているが、どうもボロが見え、特に麻薬患者のたむろする場面は、B級のホラー映画の一場面を見せられているようでどうもいただけない。言わば、天と地が交錯する、三船と山崎との邂逅のシーンもワザとらしく必然性がない。そして、一番の致命的な欠陥は、この映画で山崎の犯人像がよく描けていない。確かに、その頭の良さと冷酷さは描けていたかもしれない、しかし、人間山崎が何故か薄っぺらにしか描かれていない。同様に、この犯人を追う、警部・仲代の人間性も一面的である。よき犯罪映画は、同時に人間と時代が描かれていなければならないという、僕の信条からすると、この映画、残念ながら物足りなかった。
     映画後半の映像美意識としては、捜査会議と警察の記者会見の、二つの集団劇が僕には何とも言えず良かった。その場面のために個々の俳優を、潜水艦の乗組員の、あの緊密な阿吽の集団に練り上げて作り上げる黒澤の監督としての力量には敬服せざるを得ない。これは、「黒澤節」で、この黒澤の「集団主義の美意識」は、戦前から見え、最後は『まだだよ』まで続くものである。
     最後に、有名な煙突からの牡丹色の煙であるが、これは、コッポラの『ランブル・フィッシュ』の水槽に泳ぐ魚の彩色と、スピルバーグの『シンドラーのリスト』のユダヤ人少女のコートの赤色と並んで白黒映画史を飾るものであるが、これまで白黒映画でやってきた黒澤に関しては、その白黒映画時代がこれで以って事実上その幕を閉じることになったと考えていいのである。

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