北大路欣也
松平三郎元信
山岡荘八の同名小説を「この首一万石」の伊藤大輔が脚色、監督した歴史時代劇。撮影もコンビの吉田貞次。
群雄割拠の東海地方は、駿府を居城として駿、遠、参の三国を領する今川義元が、強大な勢力を誇り西には新鋭の織田信秀が次第に東方に進出し、西三河一帯は東西勢力の接触点となった。ここに累代この地域を拠点とした岡崎と刈谷は、両勢力いずれかにつかざるを得ず、刈谷の水野は、刈谷の姫於大を和睦のしるしに三州岡崎の城主松平広忠の許へやり、今川方の松平に属した。天文十一年於大は、男子を出生、松平竹千代と名づけられた。寅の日、寅の刻という希瑞に岡崎城下はわいた。竹千代三歳の春、於大の父は病死し、城主となった信元は、今川の勢力を脱し織田方と盟を結んだ。戦国時代に生きる女の宿命か、於大は、兄の一決で織田方阿久居の城主久松佐渡守俊勝のもとに嫁いだ。病弱な広忠は、如何なる運命にも耐えて、竹千代を守れと於大を送った。一方今川義元は伯父雪斎禅師の進言を容れ、岡崎を織田進撃を喰い止める要路とみて、竹千代を人質に迎える旨岡崎に伝えた。弱小国岡崎のとる道は唯一つ、竹千代は七人の侍童に守られて駿府に向かった。だが途中田原領主戸田弾正の寝がえりに会い、竹千代は一千貫で織田方にうられ、侍童たちは割腹し果てた。この悲惨な光景は終生家康の心を離れなかった。信元は、竹千代の命とひきかえに、広忠に織田方へ加担をすすめたが、広忠は武士の意地を立て通した。この報は於大の耳にも入り、熱田に赴いた於大は後の信長、吉法師にすがり、竹千代の姿を垣間みた。もともと、竹千代に肉親のような感情を抱いていた吉法師は、於大の心に激しく胸をゆさぶられた。天文十八年広忠が病死し、安祥城を急襲した岡崎勢は城主信広と交換に、竹千代を三年ぶりに城に迎えた。しかしそれもつかの間、竹千代は駿府の人質として岡崎を去り、三河の地は今川に統割された。十年の月日がたち竹千代は元服して元信と名を改め義元の姪瀬野と婚儀を結んだ。また一方、吉法師も信長と名を改め、勢力を増し、今川方を脅し、藤吉郎を派遺して、竹千代の動静をつぶさに於大に知らせた。永禄三年義元は日本征覇の野望を果すため京へ向った。松平の血をうけた元信の決意は、岡崎譜代の家臣のため、岡崎勢と共に大高城に篭り、織田方との戦いをさけた。元信の真意を解した信長は、大高城を迂回し今川の本陣に入り、義元の首級を上げた。義元討たるの報を聞いた元信は、織田軍に乗り込むと義元の首を、受けたいと告げた。恨みよりも恩を返えそうとする元信の心に、信長は、かねて約束の馬と共に、友情をこめて、義元の首を手渡すのだった。かくして、信長と元信の間に十四年間の友情がつづいた。
松平三郎元信
竹千代(三歳)
竹千代(六歳~九歳)
織田信長
木下藤吉郎
於大
水野下野守信元
水野忠政
杉山元六
弁
白須
円
松平広忠
大久保新十郎
大久保新八郎
大久保甚四郎
酒井雅楽助
鳥居忠吉
長坂血槍九郎
阿部大蔵
金田与三左衛門
石川安芸
植村新六郎
奥山伝心
本多小夜
本多鍋之助
平岩七之助
石川与七郎
阿部徳丸
平岩助右衛門
天野三之助
松平与一郎
天野又五郎
織田信秀
十阿弥
平手汎秀
林通勝
佐久間大学
飯尾近江
毛利新助
服部小平太
濃姫
奇妙丸
茶筅丸
織田信広
岩室長門
志女
甲
善九
銅六
遊喜
一ノ姫
今川義元
今川氏真
雪斎禅師
関口刑部親永
久松佐渡守俊勝
戸田五郎政直
虎之助
万蔵
山口左馬助
山口九郎二郎
天野甚工