筑豊のこどもたち:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
筑豊のこどもたち
筑豊のこどもたち
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筑豊のこどもたち

1960年11月13日公開、106分
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土門拳の同名の写真集から「悪い奴ほどよく眠る」の共同執筆者・菊島隆三と、広沢栄が脚本を書き、「遠い一つの道」の内川清一郎が監督したオール・ロケーション映画で、悲惨な筑豊の炭鉱地帯とその子供たちを描くもの。撮影は日映の白井茂ら。

ストーリー

北九州筑豊地帯が擁する失業者は数万。更に十数万の彼らの子供達がいる。炭住街では子供達の方が元気だ。食事の糧であるザリガニ捕りにはしゃぎ廻る。江藤武もその一人。武の父・新吾は他の失業者と同じく、焼酎を飲んではボロ畳に寝ころんで、働けない日々を過す。妻は貧乏にあいそをつかして家を出た。長男の勝は大手筋の鉱山で働いていたが、このことは福祉司には内証だった。一家の生活扶助料が減らされるのである。勝からの送金も間もなく途絶えた。首切り反対のストに加わったのだ。炭住街の子等の何よりの仕事は、修学旅行の金を溜めることだった。入坑禁止の廃坑に入ってボタ拾いもした。ある日突然坑山が再開された。事情は分らぬまま、鉱夫達は喜んで働いた。学校では久しぶりに全員揃った生徒を前に、小林は修学旅行の旅費を発表した。二千七百円と聞いた武たちは一様におしだまった。妻と喧嘩をしてまで、失業者の子の一人をひきとっていることが、小林にはほんの自己満足だけのように思えた。新吾達の働く炭鉱は、炭鉱主の交替とともに、合理化申請の名のもとに再び閉鎖された。武は今迄に溜めた三百円を、父親の焼酎代にと、無表情にさし出した。子供達は突然、黒い羽根の募金で遠足が実現した。しかし自分達の写った宣伝写真を見た彼らは、ばっかにしちょるなあと言って視線を泳がせた。小林の心配をよそに、子供達は学校に出なくなった。一見明るく、楽しく遊んだ。父が家出したという武さも……。それは無気力な、負け犬の忍従の姿だった。大手組合の争議は熱気をおび、勝も手錠をはめられた。武は飢えにパンを盗んだ。出稼ぎに出た鉱夫達は皆この望みのない炭住街に舞い戻った。新吾が戻った時、父の太平は寂しく他界し、武は小林の手で連れ去られていた。武は希望通り、大阪の理髪学校に入学したのだった。

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作品データ

製作年
1960年
製作国
日本
配給
東宝
初公開日
1960年11月13日
上映時間
106分
製作会社
東宝=日映新社


[c]キネマ旬報社