沖繩の民:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
沖繩の民
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沖繩の民

1956年11月20日公開、95分、戦争
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沖縄攻防戦を背景に、戦争という異常心理状態下における個々の人間像をセミ・ドキュメンタリーに描く。石野径一郎の原作から「逆光線」の古川卓巳が脚色、監督する。撮影は「肉体の密輸」の間宮義雄。主な出演者は、「雑居家族」以来の左幸子、「隣の嫁」の長門裕之、「感傷夫人」の安井昌二、「泣け、日本国民 最後の戦闘機」の高友子、「青い怒濤」の桂典子、「女優(1956)」の信欣三、その他織田政雄、金子信雄、安部徹、二本柳寛、坪内美詠子など。

ストーリー

昭和十九年、サイパン島が陥落、次の戦場沖縄に本州から兵隊が続々送りこまれてきた。一方沖縄決戦を前に内地向け集団児童疎開の声が高まり沖縄市白石国民学校の佐敷真知子先生は児童の父兄を説得、第一回疎開船ツシマ丸を那覇の埠頭に送った。彼女も同船する筈だったが予定が変り愛情を寄せる豊平先生と十三人の教え子を涙のうちに送ったのだ。しかしツシマ丸は敵の魚雷攻撃で沈没。報せを聞いた父兄の怒りは大浦校長と真知子に向けられ校長は自殺した。昭和二十年四月一日、米軍は沖縄に上陸。五月には戦況が悪化、学生隊も戦列に加わった。鉄血勤皇隊の光一も、その一人だが学友を失い応援部隊も着かず、口惜しさに震えるばかりだった。その頃、北部の避難民は飢餓に苦しんでいた。教え子を連れて避難してきた真知子も敵陣近くまで危険を冒し甘藷掘りに行った。六月、南部戦線も悪化、下旬には沖縄戦の勝敗は決った。司令官は自害、今後は参謀部を中心に地下工作に入ることになった。学生隊も解散、野村校長は重傷を負い、「沖縄再建を頼む」の言葉を残して死んだ。南部戦線も終った。米軍は避難民の投降勧告を始めた。疲れ果てた住民と学生は沖縄再建を期し戦列を離れた。収容所に入った光一は野村校長の言葉を胸に命がけで降伏説得に努めた。七月沖縄戦は三十万の犠牲を払って終了した。続いて終戦。十一月下旬には沖縄向け引揚船が那覇に着いた。出迎えの真知子は引揚者の中に豊平先生を見出し、ツシマ丸事件で教え子の殆どが犠牲になったと聞かされ愕然とした。真知子はこの犠牲を無駄にせぬため自ら沖縄再建へ平和の戦士となることを固く心に誓った。

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作品データ

製作年
1956年
製作国
日本
配給
日活
初公開日
1956年11月20日
上映時間
95分
製作会社
日活
ジャンル
戦争


[c]キネマ旬報社