蟻の街のマリア:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
蟻の街のマリア
蟻の街のマリア
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蟻の街のマリア

1958年12月7日公開、109分
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隅田川畔のバタヤ集落に身を投じた、カトリック信者の一女性が胸を患い歿するまでを描いたもので、先頃芸術座の舞台で上演されたこともある実録である。原作は蟻の街の住人松居桃楼で、「炎上」の共同脚色者の一人長谷部慶次が脚色、「欲」の五所平之助が監督した。撮影は「浮世風呂」の竹野治夫。宝塚出身の新人・千之赫子がヒロインに抜擢されたほか、斎藤達雄・南原伸二・佐野周二・渡辺文雄らが出演する。

ストーリー

昭和二十五年、浅草の近く隅田川・言問橋のそばのバタヤ集落、蟻の街に一人の可愛いお嬢さんが訪れてきた。「何か私にすることない?私なんでもやるわ」……バタヤたちの好奇と不審な目が光った。彼女の名は北原怜子--農学博士の父と優しい母をもつ健康な家庭の娘で、マリアの洗礼名をもつカトリック信者だが、この不幸な人々の集団を知って救いの手を差しのべようとやってきたのだった。蟻の街には立派な自治組織ができていた。会長を中心にバクチ打ちの五三と彼の女房、元大佐、オンリー上りなど、いずれも変った人間がよくまとまって将来に備え天引貯金さえしていた。これらの人々の結束を固め、指導しているのが先生と呼ばれる松木だったが、彼は飛込んできた怜子を利用し盛大なクリスマスを蟻の街で催し、毎朝新聞に取上げてもらおうと計画した。蟻の街は都庁から追立てを喰っていた。それをはねかえすにはジャーナリズムを先頭にした世論の同情が必要だったからだ。こうして怜子は、たとえ利用される小道具にもせよ、蟻の街の仲間入りができた。バタヤ集落を巡回しているゼノ神父とも知り合った。クリスマスは大盛況で先生の思い通りの成功をおさめた。怜子は集落の子どもたちに勉強を教えるようになった。夏休みになったころ、怜子は海へも山へも行けぬ子どもたちを箱根に連れて行ってやりたいと思い立ち、その資金集めにバタヤ車の梶棒を握った。彼女の真剣な姿を見て、今まで、お嬢さんの気まぐれと思っていた先生たちも、すっかり打たれた。箱根行きは実現し、やがて怜子、ゼノ神父、住民たちの協力で教会もできた。怜子のことを新聞で知ったというモンテンルパの死刑囚からの涙の手紙が、一層彼女に自信を与えた。怜子は、大人たちを説き伏せ、子どもたちの協力で、より不幸な人たちへの共同募金のために再び寒空をバタヤ車の梶棒を握った。が、過労は、間もなく彼女の胸を蝕んでいった。

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作品データ

原題
Maria of the Ant Village
製作年
1958年
製作国
日本
配給
松竹
初公開日
1958年12月7日
上映時間
109分
製作会社
歌舞伎座


[c]キネマ旬報社