シルヴェスター・スタローン
ジョン・ランボー
ベトナム戦争で心に傷を負ったランボーの戦いを描くアクション・シリーズが20年ぶりに復活。ミャンマーの軍隊相手に、シルベスター・スタローン演じるランボーが死闘を挑む。
※結末の記載を含むものもあります。
ベトナム戦争やその後のさまざまな戦いをくぐり抜け、孤独に生き続けていたランボー。だが、残忍な軍事政権に制圧されているミャンマーへアメリカが傭兵部隊を投入することになり、ランボーも部隊に加わっていく。
ジョン・ランボー
サラ・ミラー
マイケル・バーネット
スクールボーイ
ルイス
Rev. Arthur Marsh
ディアス
エン・ジョー
リース
配役
音楽
衣装
美術
編集
撮影
ライン・プロデューサー
ライン・プロデューサー
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作
製作
製作
脚本、監督
字幕翻訳
[c]2007 EQUITY PICTURES MEDIENFONDS GMBH & CO.KG IV [c]キネマ旬報社
戦争、人間と人間が殺しあうのは、よくないこと。それは誰もが分かっている。だけど、繁栄を願い、強く大きくなりたい、安定したいと願い行動する人が出てくる。声高に、人権を叫ぶ人もいる。原則論を言い続ける人がいる。だが、結局力の強いものが勝つ、だから力を持たなくては解決できない。ランボーらしい理屈。だから、戦争はなくならない。 悲しみや矛盾をかみしめつつ、戦いの場に出て行くランボー。こういう映画の理解者が多いだけに、やはり戦争はなくならない。
冒頭、軍事政権による犠牲者のニュース映像が流れる。衝撃的だ。日本のテレビニュースではきっと放映されないであろう悲惨な映像。 その後の軍事政権の非人道的なゲーム(地雷をばら撒いた水田を走らせる人間競馬)も戦闘シーンも凄いし酷い。 本当にあんなゲームが行われているのかと疑いたくなるほどだ。 武器の威力が増しているから、きっと、本当の戦場では、あんなふうに手足が飛ばされたりするのかもしれない。 ある日突然、ビルマからミャンマーになった国。あれだけのサイクロンの被害があっても人的国際援助を拒否し、新憲法信任選挙を実施し、一人の女性を自宅軟禁し続ける国。 余りにも情報が少なく、この映画のどこまでが真実なのかは判らない。しかし、カンボジアのクメール・ルージュの行為を思えば、もっと酷いのかもしれない。ある意味、この映画は政治的告発の映画だ。 ランボーは故郷に帰っていった。しかし、自由を守るため、また立ち上がる日が繰るのではないかと思う。 映画では、国名を「ビルマ」と言っているが、字幕は「ミャンマー」。この辺りに日本の軍事政権に対する姿勢が表れているのかもしれない。「ビルマ」を「ミャンマー」と訳した(字幕を付ける)のでは、スタローンがこの映画を製作した意味を踏みにじる行為だろう。
ファンタジーものなどで、戦いの場面をかっこいいと感じることもあると思うが、この作品は実際の戦いが、どんなに残虐で悲惨なものかを伝えようとしているようだ。 徹底した描写には、理不尽な暴力に対する怒りが込められている。 全編に緊迫感あふれ、ハラハラ、ドキドキの娯楽としても優れている。 ランボーが故郷へ帰っていく場面に、ランボーとスタローンの達成感が表れている。 ただのヒーローものではなく、やるべきことをやった。 ランボーもスタローンも、いい仕事をしたと思う。
かなりエグい・・・ これは直視できない・・・ こんなにミャンマーってひどいのか? かなりショックです。 スタローンはどうしても「ロッキー」と「ランボー」の 最終作を作りたかった。 シリーズの最終作が前作ではどうしても終われなかった。 「ロッキー」の最終作はノスタルジックに、 1作目の良いところを存分に浸れるように作ってくれた。 でも「ランボー」は違った・・・ 「ランボー」はノスタルジックには終われない。 1作目の思いに浸るものでもない。 「ランボー」はそんな作品じゃないから。 人間兵器であるジョン・ランボーは 最後まで人間兵器であった。 今まで以上に人間兵器だった。 戦う相手が残虐非道なら ランボーも残虐非道になる。 恐ろしいぐらいランボーは恐ろしい。 「ランボー」の最終作をこのような内容で終わらせられて スタローンはしてやったりだと思う。 「お前ら甘い考え持つなよ!」 そんな声が聞こえてきそうです。