サラブレッド種の馬ジョーイが生まれるところから飼い主アルバートと情を通じて育ち、戦火を潜り抜けるさまを描いた映画。
名匠スピルバーグの作品だし、ずっと気になってはいたが、この映画はいつも後回しになっていた。
長期出張でロンドンに滞在した折、いつもHolbornへの通勤経路に戦火の馬の舞台が上演されているシアターの横を通っていた。え?馬が主役??確かに戦車や軍艦がない時代は馬こそが大事なリソースだったろうなーと、漫画『花の慶次』の黒駒"松風"を思い浮かべながら、シアターの壁一面の馬の見事な画を横目で通り過ぎていたものだ。
この映画を観た今となっては、舞台を観に行かなかったことを後悔している。馬がどんな風に舞台で演出されているのかが観たい。基本、シルエットだろうか?馬の感情を表すには瞳・表情を見せるに違いない。擬人化されているのだろうか?うーん、ライオンキング方式??
映画ではそんな憂慮は不要。本物の馬11頭がジョーイを演じたらしい。馬のことをよく知らないが、人の髪の色が赤ちゃんの頃は金髪、長じるに伴いブルネットに変わっていくみたいに、馬の毛色も変わるのかな?と思ったが、思い違いではなかったようだ。
馬は愛情深く、極めて表情豊かな動物なのだということが感じられる。これをフィルムの中に閉じ込められる監督の手腕というか、撮影や照明や演出、スタッフ皆の才能の凄さ。圧倒されるばかりである。
ジョーイが有刺鉄線に絡めとられる名場面にて。ドイツ側からワイヤーカッターが5~6個投げ入れられる所、笑った。同じ場面で更にドイツ人がフランクフルト(だかドュッセルドルフだか忘れたけど)のハンサムガイを覚えといてくれ、とか言っていた。戦争じゃなきゃ友達になれたかも知れない二人。切ないね。原作にあるのかも知れないけど、ボスニア戦争を舞台にした『ノー・マンズ・ランド』という反戦映画がある。名画。それへのオマージュではないだろうか?
ここから本題。
馬には国籍がない。
人間との愛情は交わせるけど、戦争でどちら側の味方というのも決まっていない。そこに、馬目線で戦争を描いた意味がある。
馬が愛情を交わした、敵にも味方にも感情移入できる対象を丁寧に描くことで、制作側も観客も戦争の苦しみや痛みを分かち合うのだ。
イギリスのもの、ドイツのもの、フランスのもの(風車小屋だったのとフランス語が出てきたからベルギーかも?)になり、戻ってきた。接収されてオークションでエミリーの祖父に大金100ポンドで買い取られたが、ジョーイ(フランソワ)とアルバートの絆を知り、エミリーの祖父はまるでエミリーを嫁に出すかのように忘れ形見ジョーイをアルバートに託す。
エミリーの祖父の出現がちょっと唐突な印象は否めないが、貧しい小作農の農家が奇跡の馬と呼ばれる名馬を所有するに納得がいく経緯は必要だろう。
全部説明してしまわないで、観客に読み取る力を必要とする難しい映画。全編を通して馬の力強い生命力がみなぎり、それが洞窟の奥の光のように希望の支えとなる。