大森南朋
北原白秋
大森南朋が詩人・北原白秋を、EXILEのAKIRAが音楽家・山田耕筰を演じ、2人の友情を描くヒューマンドラマ。北原白秋と山田耕筰が出会い、「からたちの花」や「この道」といった現在も歌い継がれる童謡の数々が誕生していくさまが明らかになる。与謝野晶子や石川啄木など、実在の詩人たちも多数登場する。
※結末の記載を含むものもあります。
第二詩集「思い出」が評判となるも、隣家の人妻との秘め事が原因で逮捕され、その名声を一気に堕としてしまった白秋。その後、児童文芸誌でさまざまな童謡を発表し、新境地を切り開いていたある日、鈴木三重吉の紹介で作曲家の耕筰と出会う。一度はケンカ別れするが、関東大震災で傷ついた人々の心を癒す歌を作ろうと意気投合する。
北原白秋
山田耕筰
菊子
松下俊子
記者
『からたちの花』歌手
『からたちの花』歌手
菊池寛
秦彦三郎
室生犀星
高村光太郎
萩原朔太郎
石川啄木
大手拓次
鈴木三重吉
与謝野晶子
与謝野 鉄幹
[c]映画「この道」製作委員会 [c]キネマ旬報社
2人が生きた時代は大きな震災があり、日本が大戦に向かう時代。 今の日本も、東日本大震災があり、安保法制が制定され同じような状況を迎えています。 戦後、白秋没後10周年の記念コンサートで山田耕筰が「この道」の指揮。 取材する記者に、「自由に書ける時代がきたらまた一緒に歌を作ろうと約束したのに先に死んでしまいやがって」と泣き崩れる場面。 戦争と表現の自由が密接にかかわっていることが、歯に衣を着せずにしっかりと語られています。
良く言えば、人物像ではなく、出来事を見せる映画(悪く言えば人物像の掘り下げが浅く、描写が薄っぺらい)。なので、物語を理解するには、社会情勢についても、文化についても、相当な予備知識が必要。 予備知識が乏しいと、アホとクソ真面目のコンビが織り成す、中途半端な人情劇にしか見えない(というか、史実らしいので、北原白秋の半生は、きっちり脚色すれば、立派なコメディーになりそう) でも、社会情勢や文化の歴史について、ある程度の予備知識があると、白秋の半生のうち、どこからどこまでを描くかについて、見事な見極めがなされているのが分かる。 書き言葉と話し言葉が、全く違う言語だった江戸時代が終わり、話し言葉と共用できる、新たな書き言葉を創造する試みが始まって数十年を経た頃、和歌とは別次元の、斬新かつ親しみやすいリズムを詩の世界に持ち込んで時代の寵児となった北原白秋。 西欧近代の音階やリズムと、邦楽や民謡の、溝の深さとの格闘が続いていた時代に、西洋の音階とリズムで、日本にも定着する新しい音楽作りを目論んでいた山田耕作。 二人の共作は、童謡でありながら、当時の日本では前例の無い、最先端の文化。 そして、文化の先駆者を自負して時代を切り開いて行った二人が、10年もしないうちに、手にした影響力を、戦争のために使う以外、発表の道を閉ざされてしまう。子供のための歌を作り、名を馳せた白秋が、その子供達を戦場を送る側になることを強いられてしまう。 その苦しみとやりきれなさは、予備知識に乏しいと、ピンと来ないかも知れないけれど、 国を愛するとか、国を想とか、政治的に創られた概念が押し付ける文化と、人それぞれの、一回限り唯一無二の人生の現場から、湧き出る文化の違いは、理屈でわからなくても、感じることはできるだろう。 とは言え、時代考証はまじめにやれよ! 昭和11年に、「ゼロ戦」なんて言葉あるわけないだろ! ゼロ戦は、Zero Fighter(米軍用語)の訳から来ている戦後の言葉。和名は”零式”だし戦時中は軍事機密。昭和11年の時点では零式自体が存在しない。 それ位、ネットで検索すればすぐ分かるだろが!! 手抜きすんな!
知る人ぞ知る 童謡「この道」 子どもみたいな無邪気な詩人北原白秋と、真面目な秀才音楽家山田耕筰。 二人の出逢いが、100年歌い継がれる日本の童謡を生んだ。 白秋はなんだかバカボンのパパみたいにも見える。 人間関係に引き込まれます。