ウィレム・デフォー
フィンセント・ファン・ゴッホ
ウィレム・デフォーが孤高の画家ゴッホを演じ第75回ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞した伝記ドラマ。幼い頃から精神に病を抱え周囲と人間関係を築けず常に孤独の中にあったゴッホ。誰にも理解されずとも筆を握り続けた彼が人生を通じ見つめたものとは……。「潜水服は蝶の夢を見る」で第60回カンヌ国際映画祭監督賞、第65回ゴールデングローブ賞監督賞を受賞したほか、新表現主義の画家としても著名なジュリアン・シュナーベル監督が、ポスト印象派を代表するフィンセント・ファン・ゴッホの強烈な人生を描く。ウィレム・デフォーは本作により第91回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
※結末の記載を含むものもあります。
フィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)は幼少期から精神に病を抱え、まともな人間関係を築けずに常に孤独の中にあった。そんな彼が唯一才能を認め合い、心の内をさらけ出すことのできたポール・ゴーギャン(オスカー・アイザック)と共同生活をはじめるが、それもゴッホが起こした事件により幕を閉じる。誰からも理解されずとも、自分が見た美しい世界を永遠に残そうと筆を握り続け、不器用なまでに芸術と向き合った孤高の画家ゴッホ。彼が自らの人生を通し、見つめたものとは……。
フィンセント・ファン・ゴッホ
ポール・ゴーギャン
聖職者
ポール・ガシェ医師
テオ・ファン・ゴッホ
ジヌー夫人
監督、脚本、編集
脚本
脚本、編集
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作総指揮
製作
音楽
撮影監督
美術
衣装
字幕音訳
[c] Walk Home Productions LLC 2018 [c]キネマ旬報社
ゴッホの作品と生涯について、美術鑑賞が趣味と言える位の予備知識がある人向きの映画。
予備知識が少ないと、単に、エキセントリックな人を主人公にした、画像造りもちょっと変わったドラマ、にしか見えないかも? ゴッホ本人についてはもちろん、例えば、本作に登場する、ゴーギャンの作品やゴッホとの関係、生前の言動を、どの位知っているかで、映画の見え方が、随分違って来るだろうと思います。
60代の ウィレム・デフォーが、30代のゴッホを演じても違和感があまりないのは、私達の、ゴッホに対するビジュアルイメージが、ゴッホ自身の描いた自画像だからでしょう。本作でのゴッホの顔造り(メイクなど)は、自画像をかなり意識して作り込まれているように見えました。
その上で、60代で、顔に多くの皺が刻まれたウィレム・デフォーが、30代のゴッホを演じると、苦悩に苛まれ鬼気迫る、強烈な存在感が生まれるわけです。もちろん、役者の並外れた演技力があっての存在感ですが。
ゴッホの晩年は確かに、今の医学の目から見れば、精神疾患だったのかも知れません。けれど、その医学の基準で、正常な人にしか、居場所が与えられない社会から、世界各国の民族衣装や、装飾品に刻まれた絵柄や造形は、生まれたでしょうか?
(本作中で、ゴーギャンが、ゴッホの制作について、批判的に語っている内容が、そのまま、現代の目かラ見た、ゴッホの表現の斬新さの解説になっている脚本は見事)
ゴッホの絵画は結果的に、近代西欧芸術の流れを変えた発火点の一つになりました。けれどその精神は、古今東西文化を創ってきた先人達の中で、異常と言えるのか? ひょっとしたら王道なのかも?
そんなことをあれこれ考えさせる映画でしたが、終盤で「えー!!!」な展開。確かに映画を見た後ネットで調べたら、ゴッホの生涯については近年、通説をひっくり返しかねない研究成果も出ているようです。
ゴッホは確かに、近代社会の枠組みの中では「病んだ」人だったけれど、記録に残る言動や、作品に、自死を示唆する兆候は見られなかったという研究報告を、私も聞いたことがあります。
まるでドキュメンタリーを観ているような説得力のある映像で、きっとこれが事実に近いのだろうなと感じました。
天才と狂人は紙一重。まさにゴッホはそういう人だったのだろうなと。
それにしても、弟テオがいなかったらとっくに野垂れ死んでるよね。
ゴッホのことを知っているようで
よく知らなかったことも多く。
有名な作品もよく知っているようで
描き方、画風、筆のタッチまでは
よく知らなかった。
どうしても孤高の芸術家として
生きざるを得なかったゴッホ。
ゴッホの生き様を肌で感じることが出来たのは、
ウィレム・デフォーがゴッホを落ち着いて静かに
演じ切ってくれたからでしょう。