片桐はいりとツァイ・ミンリャン監督が語り合う、引退宣言の真相と新しい映画館のかたち「私のやり方で限界を突破したい」
「“時間”と“動作”の組み合わせによって、新しい映画の可能性がでてくる」(ツァイ・ミンリャン)
片桐「このコロナ禍で2カ月間も映画館が営業していなくて、家にいなくてはならない時間がつづいたなかで、私自身は初めてかもしれないぐらいちゃんと休むことができた。それに世の中も休んでいるなかで、時間の感覚が変わったのでしょうかね。『日子』を観たらどこか心地よく感じて、もっと観ていられると思いました。
『郊遊 ピクニック』のフィルメックスでのQ&A の際に、黒澤明監督作品のスクリプターをされていた野上昭代さんが『良いけど、長いよ!』とおっしゃっていて、それに対して監督は『僕にとって必要な時間なんです』とおっしゃったのがすごく印象的でした。それでもやっぱり新作を観るにあたって身構えていた部分はあったのですが、魚を洗ったり、マッサージをしている場面も淡々としていてすごく幸せな感じがして。監督のなかにも、時間の変化のようなものはあったのでしょうか?」
ツァイ・ミンリャン「このマッサージのシーンについては、映画を観る人たちに“時間”というものを感じてほしい、観ている人にも自分がマッサージされている気分になってほしいと思っていました。リー・カンション演じるカンの指の動きや動作はあまりにも美しい。このような美しい動作のディテールは、時間の流れを感じさせてくれるような気がします。内容がどうかということよりも、そのシーンに流れている時間を感じることが重要なのです。
ラオスからやってきた労働者のノンが料理の準備をしているシーンもまた美しい。まるでダンスをしているかのようで、私はその動作に魅力を感じたから撮ろうと思ったのです。時間の流れが醸し出す、さまざまな動作の組み合わせによって新しい映画の可能性がでてくると思いました。映画ができて100年以上、観客はおそらくストーリーを物語ることやヴィジュアル効果を得るものだけが映画だと誤解している。私は私のやり方で限界を突破して、これから映画の可能性というものを探っていきたいと思っています」
片桐「監督はこのコロナ禍でお休みをとられることがありましたか?なにかそのなかで考えたことや、次の作品にどのように影響していくか聞いてみたいです」
ツァイ・ミンリャン「人類は非常に矛盾に満ちた存在ですね。私は年を重ねるにつれて、旅行をすることがすごく嫌になっていたのですが、コロナ禍には旅に出たいと思うようになってしまいました。香港とか、毎年のようにこの時期になると行っていた東京や釜山にも行きたいなと。
私が映画について思っていることは、どういうふうに新しいものを作り出し、発展させていくかということです。最近は非常にシンプルな暮らしを撮りたいと思うようになりました。意義はなくても美しいものを撮りたい。でもそれはなかなか難しい。なぜそれを撮るのかという根本的な問題があって、そういうなかから新しい力が湧いてきた時に、次の作品を撮る。なにを撮るかが重要だと思っていて、いままでの自分を繰り返すことはしたくないと考えています」