“世界のクロサワ”はなにがすごかった?アカデミー賞と黒澤明、『生きる LIVING』への70年にわたる関係|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
“世界のクロサワ”はなにがすごかった?アカデミー賞と黒澤明、『生きる LIVING』への70年にわたる関係

コラム

“世界のクロサワ”はなにがすごかった?アカデミー賞と黒澤明、『生きる LIVING』への70年にわたる関係

映画の歴史を振り返った時、レジェンドとされる監督は何人も存在する。そのなかでも“レジェンド中のレジェンド”として世界中からリスペクトされ続けているのが、日本の黒澤明だ。いまでも海外の映画人の多くは「影響を受けた映画作家」として、黒澤の名を口にする。

生涯で30本の劇映画を監督し、そのすべてがハイクオリティで革新的な演出にも挑んでいたレジェンド、黒澤明
生涯で30本の劇映画を監督し、そのすべてがハイクオリティで革新的な演出にも挑んでいたレジェンド、黒澤明[c]Everett Collection/AFLO

1910年に生まれ、1998年、88歳でこの世を去った黒澤は、生涯で30本の劇映画を残した。監督人生の長さを考えれば、作品数はそれほど多くないかもしれない。しかし、一本一本のクオリティがあまりに高く、なおかつ多彩なジャンルに挑み、革新的な演出も多く試みている。“世界のクロサワ”の呼び名にふさわしい、まさに映画監督の「見本」のような存在だ。

アカデミー賞、三大映画祭、日本映画を世界に羽ばたかせた、唯一無二のパイオニア

一人の浪人が、ある宿場で対立関係にあるヤクザ同士を衝突させて破滅させようとする『用心棒』
一人の浪人が、ある宿場で対立関係にあるヤクザ同士を衝突させて破滅させようとする『用心棒』[c]Everett Collection/AFLO

世界三大映画祭での受賞歴を振り返るだけでも圧巻だ。1951年、『羅生門』(50)がヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞。世界三大映画祭で日本の監督が最高賞という初のケースになった。ヴェネチアでは1954年、『七人の侍』が銀獅子賞。さらに1961年の『用心棒』、1965年の『赤ひげ』で主演の三船敏郎が男優賞を2回受賞している。カンヌ国際映画祭では1980年、『影武者』がパルムドール(最高賞)。さらにベルリン国際映画祭では1959年に『隠し砦の三悪人』(58)が銀熊賞(最優秀監督賞)に輝いた。


フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスら現代の巨匠からも尊敬される黒澤明
フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスら現代の巨匠からも尊敬される黒澤明[c]Everett Collection/AFLO

極めつけは、アカデミー賞での実績である。『羅生門』がカンヌに続き、1952年のアカデミー賞で名誉賞を受賞(当時は外国語映画賞が名誉賞扱いだった)。『羅生門』は翌1953年のアカデミー賞で美術監督・装置賞にノミネートされた。外国語映画賞(現・国際長編映画賞)では1972年に『どですかでん』(70)、1976年に『デルス・ウザーラ』(75)、1981年に『影武者』と3度ノミネートされ、『デルス・ウザーラ』が受賞。1986年には『乱』(85)で監督賞にノミネートされた(日本人では2人目)。この年、『乱』は4部門にノミネートされ、衣装デザイン賞(ワダエミ)が受賞を果たす。多くの人の記憶に残っているのは、1990年、黒澤自身が名誉賞を受賞した瞬間で、ジョージ・ルーカススティーヴン・スピルバーグの2人が最大の敬意のコメントと共に、黒澤にオスカー像を渡した。

老齢の戦国武将が、息子たちの骨肉の争いに翻弄されていく『乱』
老齢の戦国武将が、息子たちの骨肉の争いに翻弄されていく『乱』[c] 1985 KADOKAWA / STUDIOCANAL

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