和装洋装の入り交じる明治~大正時代。『わたしの幸せな結婚』や「鬼滅の刃」など“ファッション転換期”を舞台にした映像作品|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
和装洋装の入り交じる明治~大正時代。『わたしの幸せな結婚』や「鬼滅の刃」など“ファッション転換期”を舞台にした映像作品

コラム

和装洋装の入り交じる明治~大正時代。『わたしの幸せな結婚』や「鬼滅の刃」など“ファッション転換期”を舞台にした映像作品

明治、大正時代をイメージした物語には、不思議と観る者の心を強く惹きつける魅力がある。心を閉ざした冷酷な軍隊長と不遇の女性の運命の恋を描く話題の映画『わたしの幸せな結婚』(公開中)も、大正ロマンを思わせる時代が背景になった作品だ。西洋化が始まり、変貌をとげていく新しい時代を象徴する重要な要素の一つとなるのが、登場人物たちが身を包むファッション。今回のコラムでは、明治、大正期のファッションの移り変わりを辿りつつ、これらの時代を舞台にした作品もあわせて紹介していきたい。

Web小説から人気に火がついた『わたしの幸せな結婚』

【写真を見る】男性の洋装化は早かった?『わたしの幸せな結婚』から読み解く、大正ロマンあふれるファッションを解説
【写真を見る】男性の洋装化は早かった?『わたしの幸せな結婚』から読み解く、大正ロマンあふれるファッションを解説[c]2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会

『わたしの幸せな結婚』の原作は、日本最大級の小説投稿サイト「小説家になろう」で連載がスタートした、顎木あくみの大ヒット小説。高坂りとによるコミック版も瞬く間に注目を集め、電子書籍、コミック含むシリーズ累計発行部数は、現在650万部を突破。「全国書店員が選んだおすすめコミック2021」、「電子書籍で読みたいマンガ大賞」など、様々な賞を受賞している本作を、『コーヒーが冷めないうちに』(18)の塚原あゆ子監督が、目黒蓮と今田美桜を迎えて実写映画化した。今年7月にはキネマシトラス制作によるアニメ化も決定している。

鶴木は専ら洋服の様子。彼のコーディネートも注目
鶴木は専ら洋服の様子。彼のコーディネートも注目[c]2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会

「わた婚」の実写化では髪型、衣装を含め、コミック版のビジュアルをかなり忠実に再現。軍人の久堂清霞(目黒)をはじめ、清霞が率いる陸軍特殊部隊の隊員たちの服装は軍服。貿易会社の若き社長で謎に包まれた人物、鶴木新(渡邊圭祐)はスーツにネクタイ姿。宮内省長官、賀茂村(津田健次郎)も洋装だ。一方、プライベートになると、男性も女性も基本的に着物である。ヒロインの斎森美世(今田)は、清霞との初対面では名家の令嬢とは思えないほどの簡素ないでたちだが、物語が進むとともに、その装いに儚い美しさが加わっていく。清霞が休日に美世を街に連れだし、彼女のために呉服店で着物を注文するシーンは印象的だ。また、着物中心の女性キャラの中で、美世の異母妹・香耶(高石あかり)がゴージャスな西洋のドレスを着ているシーンも目に留まる。

明治~大正は、ファッションにおける大きな転換期

清霞が隊長を務める陸軍対異特殊部隊は、“肋骨服”と呼ばれる胸を留める紐が印象的な制服を着用
清霞が隊長を務める陸軍対異特殊部隊は、“肋骨服”と呼ばれる胸を留める紐が印象的な制服を着用[c]2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会

日本のファッションの歴史を振り返る時、最も大きな変化はやはり和服から洋服への転換だろう。特に男性の洋服への転換は比較的早い時期だった。まず、散髪脱刀令により、明治初期に髪型が洋風に。戦前にはほとんどの男性の外出着は洋服になっていた。また、男性は軍事や警察などの制服、職場での服装規定などもあって、必然的に洋服にならざるをえなかったとも言える。

基本的に女性陣は着物だが、香耶(左)は、嫁入りの準備中にドレスを選んでいた
基本的に女性陣は着物だが、香耶(左)は、嫁入りの準備中にドレスを選んでいた[c]2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会

一方、女性の衣服の洋装化はとても遅かった。明治初期にはむしろ、伝統的な和装を維持するべく、公的な規制がかけられたり、洋装の是非の議論があったりしたほど。ただし髪形に関しては、衣服より早く洋装化が進んだ。不便、不潔、不経済な日本髪の代わりに、明治中期には、西洋女性の髪形にヒントを得た“束髪”が登場。自分で簡単に結えて、軽やかな束髪は、明治末期には主流になっていった。

幸次(左、小越勇輝)は、中は袴だがコートにハットという和洋折衷なコーディネート
幸次(左、小越勇輝)は、中は袴だがコートにハットという和洋折衷なコーディネート[c]2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会

実は女性の洋装が一般的になるのは、昭和に入ってからのこと。結局、だいぶ時間はかかったものの、後の女性の衣服の西洋化に大きな影響を与えたのが明治時代の鹿鳴館の存在である。鹿鳴館で催される華やかな舞踏会では、出席する上流階級の女性はイブニング・ドレスが必要とされた。それをきっかけに、あくまでも上流、富裕層のごく限られた女性たちの間で洋装が流行していく。とにかく当時は、外見と身分が対応していることが重要だった。また、明治時代、ファッションのインフルエンサー的役割は芸者と呉服店が担っていた。

落ち着いた赤をベースにした着物姿の美世
落ち着いた赤をベースにした着物姿の美世[c]2023 映画『わたしの幸せな結婚』製作委員会

大正時代になると、若いブルジョワ女性と職業婦人たちによって、断髪・洋装・洋風のメイクで装ったモダンガールが登場。モダンガールは昭和初期にかけて流行し、一般女性の洋装化の先駆けとなったが、それでも大都市の一部のみに見られるファッションだった。ちなみに、ファッションとは別の話になるが、明治、大正期の大きな特徴としては、上流階級の女性の結婚年齢が低かったことが挙げられる。原作の「わた婚」では、19歳になった美世の「良家の娘ならば、もう嫁いでいて当然の年齢だ」というモノローグがあるが、実際に20歳前後の未婚女性は比較的少なく、女学校在学中の10代半ばで結婚する場合も珍しくなかった。


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