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【追悼・高畑勲】アニメーションの豊かさを信じ続けた天性の“演出家”、その功績を辿る

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【追悼・高畑勲】アニメーションの豊かさを信じ続けた天性の“演出家”、その功績を辿る

『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』などで知られる映画監督の高畑勲が4月5日、82歳でこの世を去った。彼の盟友・宮崎駿が生粋のアニメーターであるとするならば、東大文学部卒業のインテリで、アニメーションのみならずフランス文学への造詣の深さを持ち合わせ、そして自身で絵を描くことができなかった彼は天性の演出家であったといえよう。

かのウォルト・ディズニーの遺作となった『ジャングル・ブック』(67)が日本で公開された1968年夏、「東映まんがまつり」の一編として発表された『太陽の王子 ホルスの大冒険』で初めて監督(演出)を務めた高畑は当時まだ32歳。その後『パンダ・コパンダ』(72)や「アルプスの少女ハイジ」「じゃりん子チエ」など、日本のアニメーションの礎となる作品で類稀なる演出手腕を発揮しつづけた。

そして今や日本人の誰もが知っているといっても過言ではない「スタジオジブリ」の創設メンバーとなり、1988年には『火垂るの墓』はアニメーションで戦争を描くという挑戦的な試みを行い、つづく『おもひでぽろぽろ』(91)では徹底したリアリティを追求した“写実主義”を取り入れた高畑。そしてその2作で作り出したリアリティとアニメーション特有の寓話性を織り交ぜ、外見的にはファンタジーに、しかし内面的にはあまりにも辛辣な社会派アニメとなった名作『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)を発表する。

その後『ホーホケキョとなりの山田くん』(99)が鳴り物入りで公開された。スタジオジブリとしては記録的大ヒットとなった『もののけ姫』(97)の直後に発表されただけあって大きな期待が寄せられながらも、興行的には惨敗。しかしながら、海外の批評家を中心に非常に高い評価を与えられたことは言うまでもない。

朝日新聞の朝刊紙で長きにわたり連載されている4コマ漫画を原作に、一風変わった家族の個性的な日常を、紙に書かれたイラストがそのまま生きて動いているかのように表現。通常の3倍にも及ぶ作画を要して作り上げられた独創的なアニメーション表現は、19年の時が経った今でも決して色褪せることはなく革新的な作品といえよう。今こそ再評価されるべき作品ではないだろうか。

この数十年の日本のアニメーション作品で『ホーホケキョとなりの山田くん』に唯一追随できる独創的な作品があったとするならば、それは高畑自身が長い年月をかけて作りあげた『かぐや姫の物語』(13)ただ一本だけであろう。繊細でありながらも力強い。ゼロからすべてを作り出していくアニメーションに、限界がないということを思い知らされるはずだ。その『かぐや姫の物語』が、まさかこのような形で遺作になってしまったことが、ただただ口惜しくてならない。映画史上で最も偉大な遺作の一本となることだろう。

先日、スタジオジブリ出身の米林宏昌や百瀬義行らが参加する『ポノック短編劇場-カニとタマゴと透明人間-』(8月24日公開)の制作発表会見の場で、プロデュースを務めるスタジオポノックの西村義明は「アニメーションの豊かさを信じ、常に新しいものを挑戦し続けてきた」と高畑勲監督から受けた影響の大きさと、彼への強い敬意を表明した。

つねに挑戦的な姿勢でアニメーションと向き合い続けてきた高畑の功績は後世のアニメーション作家たちにあまりにも大きな影響を与え続けている。スタジオジブリ初の海外作品となった『レッドタートル ある島の物語』(16)を手掛けたマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットなど、それは日本に留まることはない。

まさに高畑勲こそが日本のウォルト・ディズニーといってもいいのではないだろうか。高畑の逝去は、世界中のアニメーションにひとつの転換期を与えるきっかけとなるのかもしれない。謹んでご冥福をお祈りいたします。

文/久保田 和馬

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