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【追悼】大林宣彦監督、旅立つ。「映画で歴史は変えられないが、未来を変えることはできる」

コラム

【追悼】大林宣彦監督、旅立つ。「映画で歴史は変えられないが、未来を変えることはできる」

2016年8月にステージ4の肺がんと診断され、余命3か月を宣告されながらも渾身の大作『花筐/HANAGATAMI』(17)を撮りあげ、そして昨年には20年ぶりに故郷である尾道を舞台にした『海辺の映画館-キネマの玉手箱』(近日公開)を完成させた大林宣彦監督が、同作本来の公開予定日であった4月10日の午後7時23分、82年の生涯に幕を下ろした。

2019年10月、病身を押して我々のインタビューに応えてくれた大林宣彦監督
2019年10月、病身を押して我々のインタビューに応えてくれた大林宣彦監督

1938年1月9日に広島県尾道市で生まれた大林監督は、幼少のころから映画を作り始め、1956年に成城大学に入学。在学中に生涯の伴侶となる恭子夫人と出会い、彼女をヒロインにした『絵の中の少女』などの自主映画を製作。自主映画の先駆者として、そしてテレビコマーシャル草創期を担う存在として数多くの映像作品を生みだし、1977年に『HOUSE』で商業映画を初監督。

その後は『ねらわれた学園』(81)を皮切りに、“尾道三部作”として知られる『転校生』(82)、『時をかける少女』(83)、『さびしんぼう』(85)など若手女優を発掘することに長けた監督として、若い映画ファンを虜にしてその名を轟かせる。これまで大林作品をきっかけに飛躍を遂げた女優は、薬師丸ひろ子や原田知世、富田靖子、小林聡美、石田ひかり、宮崎あおい、蓮佛美沙子など現在も活躍する錚々たる顔ぶればかり。

【写真を見る】第32回東京国際映画祭にて、常盤貴子と“最後の大林ヒロイン”となった吉田玲と笑顔で写真に写る大林監督
【写真を見る】第32回東京国際映画祭にて、常盤貴子と“最後の大林ヒロイン”となった吉田玲と笑顔で写真に写る大林監督

そして2012年の『この空の花-長岡花火物語』から『野のなななのか』(14)、『花筐/HANAGATAMI』と、平和への想いをつづった“戦争三部作”を制作。遺作となった『海辺の映画館』では、戦争映画の世界へとタイムリープしてしまう3人の若者たちが、広島の原爆で命を落とす移動劇団「桜隊」の未来を変えるために奔走する姿を描きだし、平和への想いと共に、監督自身の幼少期から変わることのない映画に対する深い愛情を結実させた。

大林監督は生前に「がんごときじゃ死なない」と、幾度もがんとの共生を宣言。2017年の『花筐/HANAGATAMI』の初日舞台挨拶では「世界が平和になるために、あと30年は映画を作りつづける」と語り、昨年の第32回東京国際映画祭で『海辺の映画館』がワールドプレミア上映された際には「あと2000年、3000年は(映画を)作ると約束します」と力強く語っていた。

2017年12月、『花筐/HANAGATAMI』の記者会見の際の大林監督。恭子夫人と仲良くツーショット
2017年12月、『花筐/HANAGATAMI』の記者会見の際の大林監督。恭子夫人と仲良くツーショット

2018年2月に行われた第91回キネマ旬報ベスト・テンの表彰式で、日本映画監督賞を受賞した大林監督はこう語っていた。「映画で歴史を変えることはできないが、歴史の未来を変えることはできる。歴史の未来とは戦争なんてない平和な世界。それを皆さんが与えてくれた、すばらしい映画の力で手繰り寄せていきましょう」。

“映像の魔術師”と呼ばれた大林監督が手掛けた、映画という名の平和へのメッセージを一度でも受け取ったことのある人間の一人として、心よりご冥福をお祈りいたします。本当に、すばらしい映画をありがとうございました。

文/久保田 和馬

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