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第66回カンヌ国際映画祭、日本映画2作が示しているものとは

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第66回カンヌ国際映画祭、日本映画2作が示しているものとは

中盤の皮切りに上映された『藁の楯 わらのたて』(公開中)。前半の『そして父になる』(10月5日公開)とは明暗を分けた評価となっている。しかし、「賛否両論で盛り上がれば良いですね」と三池崇史監督は気にしない。

「日本映画は作り手自身が、どうせ規制されるからこのぐらいしかできないと最初から諦め、表現を自主規制している。それを打ち破るためにやりたいことができる場所に行って撮影した」と、アクションシーンの出来映えに満足感を持っているようだ。カンヌの観客もそれにはビビットに反応していた。海外には熱心な三池ファンがいる。クエンティン・タランティーノをブレイクさせたカンヌは、アクションやバイオレンスを得意とする作家を育成したいという考えがあるのだろう。三池監督はニコラス・ウィンディング・レフン監督と共にその一人なのだ。

一方、カンヌが大切にしている監督の一人である是枝裕和監督の新作は温かく迎えられた。公式上映では10分間のスタンディングオーベーションが起き、監督もキャストも感涙。公式上映のスタンディングオーベーションは、5分程度なら礼儀のうちだが、10分間というのは本気の感激モードである。両親の離婚により、父親の不在を感じながら育った審査員長スティーヴン・スピルバーグのテーマには、「父親になるとはどういうことか」というものがある。「前回のカンヌからの間に両親を亡くし、子供が生まれて、自分の立ち位置が変わった」と語る是枝監督だが、本作『そして父になる』が描く、父になることについての考察は、審査員長スピルバーグのテーマと一致することから、審査員長を動かすのではないか、と私の期待は高まっている。

母親は出産を機会に、世界の赤ん坊が自分の子供のような気持ちになる(少なくとも私はそんな感じを持った)が、男性はそうはいかないらしい。だから、彼らは意識して、父になることが必要なのである。今回の主役である福山雅治は、いわゆる勝ち組エリートとして、息子を自分と同じレールにのせることが父になることだと、父親として行うべきことだと考えている父親を演じている。「僕自身は子供もいないので、父親役に戸惑いがありましたが、監督はこの映画は父親になっていくことを描くのだからそれで良い、と言ってくれました」と福山は明かす。監督は「このエリートが、自分の息子がこんな奴に育てられていたのか、と思うような家庭は、いったいどんな家庭なのかと考えて、もう一方の家族のキャラクターを考えていきました」と話す。二つの家庭のどちらが子供にとって幸せなのか。ラストに提示される考え方は、家族や親子についての考察を超えて、世界の人々が幸せになるための一つの方法を見せてくれる気がした。そこをカンヌが見ていてくれたら、ひょっとして、と私が思う理由なのである。

2013年のカンヌには、格差社会を反映し、貧困のなか、バイオレンスに走ったり、逆に遊び感覚で犯罪を犯す若者についての作品が見受けられる。富すぎても、貧しすぎても、何もなくとも価値感の混乱した社会は閉塞感に満ちている。その閉塞をどのように打ち破るか、その原動力となるものは何か、二本の邦画が示しているのかもしれない。【シネマアナリスト/まつかわゆま】

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