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釈由美子、不安だった20代と悲しい経験が成長の糧に

インタビュー

釈由美子、不安だった20代と悲しい経験が成長の糧に

女優・釈由美子が、『KIRI―「職業・殺し屋。」外伝―』(6月20日公開)でダイナミックなアクションを披露している。釈が本格アクションに挑むのは、『修羅雪姫』(01)以来14年ぶりのことだ。バラエティ番組では、「残念なスキップ」を披露するなどほんわかしたイメージのある彼女だが、実は古武道の黒帯を持つほどの“武闘派”。「古武道を始めたのは3年前」というが、なぜ黒帯を取得するほどのめり込んだのだろう。

『修羅雪姫』でのスクリーンデビューは鮮烈だった。刀を使ったキレと迫力あるアクションで、女優としての根性を見せつけた。「当時、アクションの経験はまったくなくて」と振り返る釈。「ドニー・イェンがアクション監督だったんですが、ドニーがとにかくパワフル。私も初めての映画だったので、『映画ってこういうものなんだな』と思ってしまって。骨が折れても、テーピングで刀に手をくくりつけてアクションをやっていました(笑)」

その後も順調に出演作を重ねるが、「デビューしてすぐに、幸運にも『修羅雪姫』という主演作に恵まれて。映画『ゴジラ×メカゴジラ』(02)やドラマ『スカイハイ』でも主演をいただいて、自分の中身が伴っていないのに大役を任されることが、とてもプレッシャーだったんです」と、彼女自身は大きな不安を抱えていたそう。

そんな焦りから、「食べない、寝ない、もっとハードなトレーニングをしなきゃと自分を追い込んでしまった」という彼女。「結局、体調を崩して、精神的にも不安定になってしまった」という中、自身の立ち位置に疑問を持ち始める。「グラビアアイドルでデビューして、時代の流れや旬というもので、表紙もいっぱい飾らせてもらいました。映画やバラエティにも出させてもらって、流れでお仕事をもらっていたように感じて。旬や若さが終わって、お仕事もトーンダウンしてきたときに、『じゃあ次に自分は何を見せられるんだろう』と思ったら、何も用意がなかったんですね」

それが30代前半の頃のことだそうで、「女優魂みたいなものもあまりなくて、才能もないからこれ以上残っていてもなと思って。お仕事をやめてもいいかと思ったんです」と正直に打ち明ける。さらに「そんなとき、結婚したい人が現れて。その人が『専業主婦でいてほしい』というので、私も『オッケー』と思って半年くらいお仕事を休んでいて。そのときに、私はやっぱり演じることが好きなんだなと思ったんです。どんな小さな役でもいいから、とにかくお芝居がしたいと思った」と、一度仕事から離れてみたことで、女優魂に火がついた。

結果、「でも、相手の方からは『芸能人はいらない』と言われてしまって」と婚約破棄に至ってしまう。「ちょうどそのときに、初舞台を踏んだんです。しかも大人計画さんの『男子はだまってなさいよ!天才バカボン』のママ役(笑)。人生の悲劇と喜劇を同時に味わったようでした。かたやプライベートでは人生のどん底。一方、初舞台ではみんなを笑わせて快感を得て」と笑うが、「でもこれこそ人生だと思った。楽しんじゃえ!って。獣のように泣く慟哭の表情だって、人生の肥やしとして覚えておこうと思ったんです。そこからは自分の『演じたい』という熱量がもっと増したし、人間としても成長できたような気がする」と悲しい経験をしたことが、大きな転機となった。

「実力で残っていかなければいけない世界。古武道もそうですが、自分で勉強をして芸を磨いていくしかない」と、古武道に打ち込んだのも女優業への覚悟の表れのひとつだった。「NHKの時代劇『隠密八百八町』で殺陣のシーンがあったんですが、まったく体が動かなくて。悔しかったですね。そのとき共演していた俳優さんに紹介していただいて、古武道を始めました。先生は、日本古来の刀の抜き方や斬り方を教えてくれるんです。基礎をちゃんと教えてもらっているので、身についたものが映画にも出ていると思います」

「何もやっていなかった『修羅雪姫』のときよりは、本格的なものを見せられる基礎がついていると思います」という通り、本作では所作や姿勢からも基礎が感じられる、見事なアクションを披露。プレッシャーに悩まされた20代とは違って、「黒帯も取得したので、いつかアクションをまたやりたいという目標があった。『よし、見せてやろう』と思えた」と、自信を持って臨んだ。

「今、20代よりも心身ともに健やか」とふわり微笑む。挫折や失敗を、成長に変えた。その自信が彼女を今、内側からもキラキラと輝かせている。【取材・文/成田おり枝】

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