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園子温の作品はなぜシッチェス映画祭で受けたのか?

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園子温の作品はなぜシッチェス映画祭で受けたのか?

「いつも海外での評価があって、それで『海外で評価されているのなら受け入れたほうがいいのかな』というのが日本人の感情だと思います」。

スペインのシッチェスで10月9日~18日に行われた国際ファンタスティック映画祭での園子温監督の言葉だ。『自殺サークル』(01)、『リアル鬼ごっこ』(15)のような作品は日本ではひんしゅくを買う、とも言っている。同映画祭では『リアル鬼ごっこ』、『ラブ&ピース』(15)、『映画 みんな!エスパーだよ!』(15)の3作品が上映され、ファンタスティック(ホラー、スリラー、SF、サスペンス)部門の功労者である彼は、「タイムマシーン賞」を受賞してもいる。なぜ彼の作品は海外で評価され、日本では評価されないのか?シッチェスでの観客の反応にそのヒントがあるように思った。

日本では上映も終了しているようだからネタバレ承知で書くが、『リアル鬼ごっこ』は女子高生の体がバスもろとも真っ二つ、というショッキングなシーンで始まる。血まみれの輪切りになった胴体が座席に並んでいるという光景は、フィクションゆえに基本的に何でもありの映画ですら見たことがなく、物語にどんどん引き込まれていったのだが、ここでスペイン人の観客は爆笑するのだ。口笛が吹かれ拍手もされ、“待ってました!”とばかりに。

上映前に監督の挨拶があったこの日、会場に園ファンが大勢詰めかけていた。彼の過去の作品を知るファンは、あり得ない惨劇に“園らしさ”を見ていたのかもしれない。非日常的な“祭り”(映画祭)ならでは高揚感も手伝っていたのだろう。同じ反応は『アイアムアヒーロー』(佐藤信介監督、2016年4月23日公開)のワールドプレミアでもあった。ゾンビを山ほど殺戮するシーンは爆笑とやんやの歓声で迎えられたのだった(『アイアムアヒーロー』は観客賞、最優秀特殊効果賞をダブル受賞)。

園監督が笑いを期待していたかどうかはわからない。一瞬の大量殺人をあっさり描く突き放し方は、あるいはコミカルな味を狙っていたのかもしれない。いずれにせよ、笑いは感情移入しようとしていた私を物語から引っ張り出した。笑い飛ばされた作品は純粋な娯楽となり、私も含めて見る者は鑑賞者となった。物語の中に生きず、主人公とともに苦しむこともなく、安全な場所から眺めるものとなった。

「シュールに負けるな」という何度も繰り返されるセリフは、残酷も災厄もある不条理な日常に負けるな、という監督の応援メッセージだと受け取ったが、はなから非日常のつもりで作品を“楽しんでいる”スペイン人たちに、これが伝わったかどうか。「シュールに負けるな」というメッセージは日本では2011年3月11日以降、決して笑いごとではないのだが。度の過ぎた驚愕が人を笑わずにいられない状態にすることはある。絶望的な悲劇を前にして頬が緩むのは、緊張を下げるための防衛的な本能だろう。だがスペイン人たちの笑いのハードルはあまりにも低過ぎた。

スペイン人たちが女子高生の惨殺シーンを大らかに笑えるのは、不謹慎さや道徳から自由だからだろう。我々日本人にある「笑っていいのか」「世間様に叱られるのでは」という遠慮やためらいが彼らにはない。本来カトリック国スペインでは世間様がキリスト様になってもおかしくないのだが、この国で信仰心の篤さはどんどん失われているのが現状だ。道徳や世間体が先に立ってしまう不自由さを園監督は「(自分の作品が)日本ではひんしゅくを買う」という言葉に込めたのだろう。もっとも、道徳の縛りがないことは良いことばかりではない。例えば公共の場所を汚して平気だというような、「公」よりも「個」が優先してしまう状況は、この国に住んでいると何とかしてほしいと思う。

スペイン人が園作品を笑い、称賛するのは、スペインに園子温がいないからでもあろう。この国では女子高校生は、「女性の高校生」という以上の意味を持たない。『リアル鬼ごっこ』では監督が仕込んだいくつかのパンチラシーンが出て来るのだが、スペイン人の何人があれに注目しただろうか? 映画祭本部が置かれたホテルの前はヌーディストビーチになっていて、オールヌードの若い女性が平気で歩いているのだ。パンチラに価値があるのはスカートの中が謎に満ちている国だけ。映画に年齢制限はあっても性的な検閲のないスペイン、開けっ広げで感情も肉体も剥き出しな彼らには、“チラリズム”は決して理解できないだろう。

「『リアル鬼ごっこ』には“女性の物質化”と“当の女性が物質化を受け入れる深刻な現状”への批判を込めた」という意味のことを、園監督は映画祭の新聞インタビューで答えていた。その批判精神を私は好ましく思ったが、日本的な意味の女子高生もパンチラも存在しないこの国で、スペイン人たちがどこまで汲み取れたかはわからない。彼の描く、ある意味病的で不健全で倒錯的な物語は、不自由で抑圧的な社会というバックボーンと、そこで掻き立てられる創作意欲なくしては生まれ得ない。つまり、スペインに第2の園子温が出て来るはずがなく、彼の作品はこの国では常に驚愕であり続けるのだ。『リアル鬼ごっこ』で大いに笑ったスペイン人たちの関心は、いずれ園子温が生まれた土壌にも向かうもの、と期待している。その時こそ、園子温の作品が本当に高く評価されるに違いない。【取材・文/木村浩嗣】

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