戦艦シュペー号の最後:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
戦艦シュペー号の最後
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戦艦シュペー号の最後

1957年1月16日公開、119分、戦争
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第二次大戦中、全世界に衝動を与えたドイツ戦艦グラフ・シュペー号の自爆という悲壮な事件を事実にもとづいて描くもので、製作・脚本・監督は「美わしのロザリンダ」のマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーの共同。撮影も同じくクリストファー・チャリス、音楽は「文化果つるところ」のブライアン・イースデル、特殊技術はビル・ウォリントンとジェームズ・スノウ。主演は「潜水戦隊帰投せず」のジョン・グレグソン、「美わしのロザリンダ」のアンソニー・クェイル、「台風圏」のピーター・フィンチなど。

ストーリー

ヴェルサイユ条約で軍備制限を受けたドイツでは、知能を集めて優秀装備の小型戦艦を建造した。その一隻グラフ・シュペー号は第二次大戦、英独間に宣戦布告された際、すでに南大西洋上で連合国側商船撃沈の任務で待ち構えていた。一九三九年十一月、シュペー号はポルトガル領東アフリカ沖で英貨物船アフリカ・シェル号を撃沈。ダヴ船長を捕虜にしたが、シュペー号のラングスドルフ艦長(ピーター・フィンチ)は武人として捕虜達を礼節をもって遇した。シュペー号は洋上で補給船アルトマルク号と出会った際、同艦に収容されていた捕虜を移し乗せ、その後、英商船を相次いで撃沈する度に捕虜の数も五十名を越える有様となった。英国の巡洋艦隊--旗艦アジャクス号、アキレス号とエグゼター号は必死にシュペー号の行方を探し求めた。ハーウッド提督(アンソニー・クェイル)は各艦長と協議の上、南米ウルグアイの首都モンテヴィデオを河口とするプレート河沖で三隻の挾み討ちでやっつけようと作戦を練った。十二月十二日、アジャクス号がシュペー号を発見。三対一の海戦でエグゼターは甚大な損傷を受け、アキレス号も損傷、一方シュペー号も直撃弾で損害を被った。シュペー号はその日の夕刻、中立国ウルグアイのモンテヴィデオ港に遁入、ラングスドルフ艦長は全捕虜を釈放し修理を始める。ヘーグ条約の国際法では二十四時間以上在泊は許されない。ドイツ大使ラングマンらの在泊引延しの一方、英大使ドレークと仏大使デムウランもグヮニ外務大臣を訪れ出港を迫る。結局、七十二時間の滞留延長で出港となり、十七日夕刻、全世界注目の裡にシュペー号は大部分の乗組員を下船させておいて出港。ラングスドルフ艦長は、部下の死傷を避けるため、シュペー号を遂に自爆させた。補給船タコマ号の甲板から見つめるラングスドルフ艦長の悲痛な顔が印象的であった。

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作品データ

原題
The Battle of The River Plate
製作年
1956年
製作国
イギリス
配給
BCFC=コロムビア
初公開日
1957年1月16日
上映時間
119分
製作会社
パウェル=ブレスバーガー・プロ
ジャンル
戦争


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