船団最後の日:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
船団最後の日
船団最後の日
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船団最後の日

1948年12月公開、104分
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油運送船サン・デメトリオの遭難および奇せき的帰還の事実を映画化した、ドキュメンタリー・エピックで、マイケル・バルコンが製作した一九四三年作品。監督は「愛の海峡」のチャールズ・フレンドで、F・テニスン・ジェッシが書いた公式記録に基いて、この映画製作協同者ロバート・ハマーと監督フレンドが脚本を共同執筆した。ハマーは「ジャマイカ館」「職授のフランス行」等を編集し、現在は監督である。撮影はかつてハリウッドの名キャメラマンであったアーネスト・パーマーが指揮し、音楽はジョン・グリーンウッド作曲、アーネスト・アーヴィング指揮である。出演者はウォルター・フィッツジェラルドを始め、「捕われた心」のマーヴィン・ジョンズ及びゴードン・ジャクソン「愛の海峡」のラルフ・マイケル及びフレデリック・パイパー、ロバート・ビーティ、チャールズ・ヴィクターその他である。

ストーリー

一九四〇年秋、油運送船サン・デメトリオはイギリス某港を出航、護送船団を組んで米国へ向った。テキサス州ガルヴェストンで石油を満載した上で帰船につき大西洋のまん中にさしかかった十一月のことである。船団の進行方向に敵影を認めた。ドイツのポケット戦艦アドミラル・フォン・シェーアであった。たちまち十一インチ砲弾が飛んで来る。船団の護衛艦は仮装巡洋艦ジャーヴィス・ベイは、敢然として敵戦艦へ向ったが、その六インチ砲弾はフォン・シェーアに届かない。敵は有利な射距離をもって砲火を集中し、数分後ジャーヴィス・ベイは沈没した。しかしこの犠牲で船団の多くの運送船は虎口を脱したのである。サン・デメトリオは脱し得なかった不運な船の一隻であった。彼女は火災を起した。油そうに火えんが達すれば爆発は必至である。ウェイト船長は離船命令を下し、乗員は三隻の救命艇に乗って本船から遠ざかった。二隻のボートは比較的はやく救助されたが、一隻は二日間漂流した。寒気と飢餓と波浪に責められて、よくガン張れたのは海員としての技術の優秀さと、死に面してもユーモアを失わないイギリス気質から生れる希望によるものであった。第二の夕刻、船影が現れた。燃えている船だ。サン・デメトリオだ。奇蹟か。ボートの十六名は再び本船に乗った。ボートで漂流しても死は必至である。消し得るものなら消そう。機関長ポラードの指揮のもと、決死の消火作業は続けられ、努力は報いられた。しかし船橋は破壊されて、海図も無く、コムパスも無く、無電装置も無く、信号も無く、操舵ギアも無い。この船で航海は不可能であった。しかし機関長ポラードは、エンジンを回転させるのに成功した。一等運転士ホーキンスは水夫長フレッチャーと共に、ギアを修理して代り合って舵機についた。食料も飲料もほとんど無に等しかった。けれども彼等の第六感と神の加護によって、サン・デメトリオはアイルランドの一港にたどり着いた。積込んだ一万二千トンの石油のうち、一万一千トンは無事であった。海事審判所は、十六名の海の勇士たちの海員だましいを称揚し、海難救助資金から一万四千七百ポンドを与えたのである。

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作品データ

原題
San Demetrio London
製作年
1943年
製作国
イギリス
初公開日
1948年12月
上映時間
104分
製作会社
イーリング


[c]キネマ旬報社