プロシヤの旗風:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
プロシヤの旗風
プロシヤの旗風
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プロシヤの旗風

1935年公開
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「黒鯨亭」「激情の嵐」のエミール・ヤニングスが主演する映画で「ヒットラー青年」のハンス・シュタインホフが「ハンネレの昇天」「怪人マブゼ博士(1932)」のテア・フォン・ハルボウとロルフ・ラウクナー合作の台本によって監督したもの。撮影はカール・プート、音楽はウォルフガング・ツェラーがそれぞれ担任した。助演者は「カイロの結婚」のレオポルディーネ・コンスタンチン、新顔のヴェルナー・ヒンツ、マリールイゼ・クラウディウス、「ヒットラー青年」のクラウス・クラウゼン、「モード巴里」のゲオルク・アレクサンダー、「たそがれの維納」のワルター・ヤンセン、「ウィリアム・テル(1933)」のテオドル・ロース、「怪人マブゼ博士(1932)」のルドルフ・クライン・ロッゲ、「偽国旗の下に」のハリー・ハルト、フリードリッヒ・カイスラー、その他である。

ストーリー

プロシヤ王フリードリッヒ・ウィルヘルム一世は武人であった。勤倹尚武、スパルタの古武士の面影があった。ところが太子のフリードリッヒは文学や音楽に趣味を持ち、毎日毎日武張った生活を送らねばならないことが不満であった。ある夜、太子は賭博に夢中になって遂に徹夜してしまった。負け続けに負けた揚げ句、二人の腹黒い紳士に四千ターレルの借用証を書かねばならない破目となった。この為に太子は近衛兵の朝の点呼に、朝飯も食べないで駆付けて来た。服装も軍規通りではなかった。父王はそれが無性に腹立たしかった。整列した兵士隊の前で、父王は頭ごなしにフリードリッヒを面罵し、後刻出頭せよと命じた。この時宮廷内では英国皇女だった王妃が、女王ウィルヘルミーネを英国皇太子妃にしようという計画で、イギリスの使臣と相談中だった。そこにフリードリッヒ・ウィルヘルムが来て、イギリスとの政治問題の行き違いに立腹して、王女の縁談の交渉を破棄し王女はバイロイトの太子に嫁がせるのだ、と宣言した。朝から腹の立つことばかり続いて憤然としている所へ太子が現れた。父王は太子が賭博に負けて高利貸しから金を借りている事を知り、いよいよ立腹して、太子に室内禁固を言い渡し、フランスの書籍、音楽、太子の好きな笛の吹奏を厳禁した。太子の友人のカッテ中尉に自分を手引きしてイギリスへ逃がしてくれと頼んだ。中尉は太子の妹ウィルヘルミーネトに恋していた。その晩中尉は相談かたがたフリードリッヒの許へ訪れた。ところが、外出されたフリードリッヒ・ウィルヘルム王が意外にも早く帰ってきた。フリードリッヒは中尉をかくまった。ウィルヘルミーネが父王にお小言を頂戴しているのを助けに飛び出したフリードリッヒを見るや、短気な父王は我を忘れて太子の書籍や笛を爐に投げ入れて焼き棄てた。余りの仕打ちに太子も反抗した。父王が立ち去った後にカッテ中尉が現れてみると太子の顔に血が流れていた。中尉は太子の逃避行を手助けする事を決心した。ところがこの相談の手紙が父王の手に入った。太子は禁固、カッテは死刑、と決まった。太子は親友の死刑を眼の当たりに見なければならなかった。恩赦を乞おうと思いついたとき、カッテの頭は胴を離れていた。幾月か経た。如何なる反抗も無効と知った太子は父王に詫びの手紙を書いた。太子は禁固を解かれ、領地を與えられた。四年後ウィルヘルミーネの結婚式の折り、太子は久しぶりに父王と相見えた。太子の態度には父子の情愛は無かった。父王が決めた結婚にも反対せず盲従した。ラインスブルク城に居を定めた太子は文学や音楽に楽しい時を過ごした。父王が病床に就き、重態となったとき老臣に勧められてフリードリッヒは親しく父の病床を見舞った。この時父と子とは初めて和解したのである。

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作品データ

原題
Der alte und der junge Konig
製作年
1935年
製作国
ドイツ
配給
PCL
初公開日
1935年
製作会社
NDLS


[c]キネマ旬報社