九千万の明るい瞳:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
九千万の明るい瞳
九千万の明るい瞳
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九千万の明るい瞳

1961年2月2日公開、48分
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小松君郎の脚本を「続スーパー・ジャイアンツ 毒蛾王国」の赤坂長義が監督、「続性と人間」の岡戸嘉外が撮影したホームドラマ。

ストーリー

ゴー・ホーム・ハガチー。アイク来るな! 新安保条約反対デモは羽田から国会、警視庁、首相官邸の周辺を埋めつくして警官隊との間にはしばしば流血の惨事まで引きおこしていた。この一連の反米運動は、当然アメリカ側から反響が現われた。東京近郊にある中野信吉の工場では生産した輪出向玩具の契約が突然アメリカ側の業者からキャンセルされてきた。アメリカの対日感情悪化の余波である。勿論一時のことであろうが、その一時を持ちこたえられない場合もある。債権者と従業員に責められた信吉は工場を閉鎖、私財を投じて負債と退職金に当てる決意をして家族に意見を聞いた。妻のふさはあくまで夫に協力すると言うが、長男の浩一は財産にはそれぞれ子供達の取り分がある筈だ。嫁に行った典子にだって権利はあるし、和子の嫁入費用だって必要なのだ。悪いのはアメリカなんだ! と言って私財の投入に反対した。デモから帰って来た次男の庄二はこの原因は親米反中ソの政策のためだと力説した。議論は口論となり兄の浩一と対立した庄二は、アメリカ貿易で稼いだ金で学校へ通うのは厭だと言って家出してしまった。そんな時に、祖母のヤスが一家の災難を知って、郷里の田畑山林の書類を持って上京して来た。動揺の中にも暖かい家庭生活がくりひろげられた。お祖母ちゃんの東京見物は典子の案で、孫の三郎ひ孫の真知子もお供した。やがて、池田新内閣が誕生した。これが機会に国内情勢も、国際情勢も大きく変化しはじめた。アメリカの対日感情も好転し、工場も再会した。信吉の一家にもやっと平和がよみがえってきた。家族水いらずの団らんの夜、庄二が帰ってきた。が下着の着換をすますと再び出て行ってしまった。僕は自分の信じる道を行きます。それが信二の言葉だった。暖かく送り出してやる両親の心の中には限りない愛情がたたえられていた。やがて庄二も帰ってくるだろう。

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作品データ

製作年
1961年
製作国
日本
配給
新東宝
初公開日
1961年2月2日
上映時間
48分
製作会社
生物映画研究所


[c]キネマ旬報社