あゝひめゆりの塔:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
あゝひめゆりの塔
あゝひめゆりの塔
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あゝひめゆりの塔

1968年9月21日公開、125分、戦争
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「喜劇 ニューヨーク帰りの田舎ッペ」の若井基成と、「恋人をさがそう」の石森史郎が共同でシナリオを執筆し、「昭和のいのち」の舛田利雄が監督した戦争秘話。撮影は「関東刑務所帰り」の横山実。

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ストーリー

昭和十八年、太平洋戦争の戦局は、米軍の反攻によって日本には不利に展開していた。沖縄ではまだ、戦争感は薄かった。沖縄師範女子部の和子は級友のトミらと運動会を楽しんでいた。和子が師範男子部の順一郎と知りあったのはその頃だった。昭和十九年になると戦局は悪化、米軍の物量作戦の前に沖縄も戦場になろうとしていた。和子ら学生は、一日の半分を陣地構築に従事する毎日がつづいた。やがてサイパン島が玉砕。学童は内地に疎開が決ったが和子の母は、その船に乗ったものの、潜水艦に撃沈されてしまった。和子は弟の武と二人きりになってしまった。グラマン機が那覇市を襲ったのは十月。師範学校の校舎も焼け、空襲は連日のようにつづいた。島には非常戦時体制がしかれ、女子学生は臨時看護婦として、男子学生は鉄血勤皇隊となって陸軍と行動を共にすることになった。昭和二十年。和子たちは米軍上陸の直前、証書も賞状もないさびしい卒業式を行なった。間もなく米軍が無血上陸してから激戦が続き、負傷兵も増えたが、満足に手当てもされずに死んでいった。米軍は日ましに島を制圧していった。病院は南に移動することになったが、歩けない患者には自決が求められる有様だった。そんな中で和子の級友光子は死に、勝江はあまりにも悲惨な状況の中で発狂した。またトミは下半身にグラマンの射撃を浴びて重傷を負い、自ら青酸を飲んだのだ。その頃、順一郎は伝令として銃火の中を走り回っていた。彼は、和子の弟武が壮烈な最期を遂げるのを目撃したが、それを和子に告げることはできなかった。和子たちが新しい病院にしたのは真壁の大洞穴である。しかしもう医薬品もなく、重傷患者は次々と死んでいった。そんな時、校長が死んだ。そして、その遺体を収容しようとした和子たちをかばって、順一郎は敵の機銃掃射で死んだ。もはや和子たらは最後の時が近いのを知った。生き残った和子たち九人の女子学生と、昭喜名先生たちは円陣をつくり、思い出の歌「想思樹の歌」を歌うのだった。彼女たちの手には自決用の黒い手榴弾がにぎられていた。

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作品データ

製作年
1968年
製作国
日本
配給
日活
初公開日
1968年9月21日
上映時間
125分
製作会社
日活
ジャンル
戦争


[c]キネマ旬報社