母の瞳(1953):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
母の瞳(1953)
母の瞳(1953)
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母の瞳(1953)

1953年1月9日公開、87分
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NHKラジオ小説の映画化で、浪曲母もの映画。原作者八住利雄がシナリオを執筆し、「佐渡ケ島悲歌」の安田公義が監督に当ってる。撮影は秋野友宏。出演者の主なものは「巣鴨の母」の三益愛子と松島トモ子のコンビ、「極楽六花撰」の入江たか子、「モンテンルパの夜は更けて」の見明凡太朗、ほかに藤原釜足、上田吉二郎、伊丹秀子などである。

ストーリー

或る港町にかかったサーカス一座の三吉、おさよ夫婦の空中サーカスは人気を呼んでいた。不身持で遊興の金に窮した三吉は、早川興行部の誘いに心を動かしていたが、おさよは反対だった。おさよの一人娘たま子は、五年前に或る老婆から預かったものである。この港町に料理屋を営んでいる美津子は、或日町で六歳位の盲いの子たま子にあった。しかもその子の持っている守札から、それが長い間探していた我が子とわかった。たま子をサーカスに送りとどけてくれた美津子からたま子が美津子の実子と知らされ、たま子をとられる危惧で一杯になった。美津子は美津子で、わが子をひきとりたいと思ったが、おさよの事を思うと無理にそれも出来なかった。しかしそれからというもの美津子はわが子見たさに暇さえあればサーカスを見に出掛けた。早川興行部は三吉に矢のような催促をするが、おさよは三吉の願いを聞かなかった。ところがある日二人が空中サーカスをやっていると早川が乗り込んで来て、たま子をつれ去ろうとしたので、おさよは不覚にも空中から落ち、瀕死の状態に陥った。おさよは、たま子は美津子に託し、自分の死後二十四時間以内に瞳をとって、たま子に移植手術を行うことを言い続けて息を引きとった。今は晴れてわが子は呼べる、眼のぱっちりあいたわが子を抱いて美津子は今更ながら、おさよの崇高な愛情を思って嬉し涙にくれた。

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作品データ

製作年
1953年
製作国
日本
初公開日
1953年1月9日
上映時間
87分
製作会社
大映東京


[c]キネマ旬報社