わたしの凡てを(1954):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
わたしの凡てを(1954)
わたしの凡てを(1954)
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わたしの凡てを(1954)

1954年5月12日公開、85分
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菊田一夫の原作より「花嫁の性典」の浅野辰雄、「続思春期」の梅田晴夫、監督の市川崑(愛人)の三人が共同してシナリオを書いている。撮影は「伊津子とその母」の三浦光雄、音楽は「花吹雪男祭り」の服部良一である。キャストはミス・ユニバース・コンテスト第三位の伊東絹子が第一回出演するほか、「芸者小夏」の池部良、「伊津子とその母」の有馬稲子、「美しい人」の上原謙、「かくて自由の鐘は鳴る」の二本柳寛などである。

ストーリー

許婚が復員したため北海道に帰って来た北村道子を待ち構えていたのは彼の凍死体だった。彼を愛していた姉のお敏が嫉妬に狂って凍死させ家出してしまったのだ。姉を追って上京した道子は、北海道で会った画家風間厚を尋ねるが会えず、トラックを除けそこなって路上に倒れた所を関という男に助けられ、その後身寄のない彼女が路頭にさまよっているとき再び関に再会した。ところがその二人の側に車をとめたのは、関の勤め先大阪繊維社長令嬢るいと風間だった。るいの親戚で同社の顧問をしている風間は道子をモデルに絵を書き始めるが、道子を愛する関はモデルに反対した。関と道子が夕靄の中で抱擁するのを見たるいは動揺した。るいも関を愛していたのだ。るいの気持を知った道子は姿を消した。大阪繊維は次第に苦境に陥り、「黒マスク」と呼ばれる人気者を頼んで特別ファッション・ショウを開く計画をたてた。関が会いにいってみると、「黒マスク」とは道子だった。風間の病気を関から知らされた道子は、見舞に風間の許を訪れている所を関に誤解された。ミス・ユニバース・コンテストを兼ねて華やかに繰りひろげられるファッション・ショウ。舞台裏に道子を訪ねたるいは、道子に恋をゆずり、風間の危篤を告げた。風間の瀕死の告白で関の誤解もとけ、ミス・ユニバースに選ばれた道子はアメリカに発った。その頃お敏は私娼街に売られていた。道子がユニバース・コンテスト第三位になった華やかなニュースを場末の映画館で涙ながらに見ているのは、うらぶれたお敏であった。

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作品データ

製作年
1954年
製作国
日本
配給
東宝
初公開日
1954年5月12日
上映時間
85分
製作会社
東宝


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