生きものの記録|MOVIE WALKER PRESS
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生きものの記録

1955年11月22日公開,103分
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「生きとし生けるもの」の橋本忍、「おしゅん捕物帖 謎の尼御殿」の小国英雄、「七人の侍」監督以来の黒澤明の三人が共同で脚本を書き、黒澤明が監督、「制服の乙女たち」の中井朝一が撮影を担当した。主なる出演者は「宮本武蔵(1954)」の三船敏郎、「夫婦善哉」の三好栄子、宝塚歌劇団の東郷晴子(東宝入社第一回)、「姿なき目撃者」の志村喬、「おえんさん」の清水将夫、「朝霧(1955)」の青山京子、「やがて青空」の太刀川洋一、「獣人雪男」の根岸明美など。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

都内に鋳物工場を経営しかなりの財産を持つ中島喜一は、妻とよとの間に、よし、一郎、二郎、すえの二男二女がある、ほか二人の妾とその子供、それにもう一人の妾腹の子の月々の面倒までみている。その喜一は原水爆弾とその放射能に対して被害妾想に陥り、地球上で安全な土地はもはや南米しかないとして近親者全員のブラジル移住を計画、全財産を抛ってもそれを断行しようとしていた。一郎たちはこの際喜一を放置しておいたら、本人の喜一だけでなく近親者全部の生活も破壊されるおそれがあるとして、家庭裁判所に対し、家族一同によって喜一を準禁治産者とする申立てを申請した。家庭裁判所参与員の歯科医原田は「死ぬのはやむをえん、だが殺されるのはいやだ」という喜一の言葉に強く心をうたれるのだった。その後もブラジル行きの計画を実行していく喜一に慌てた息子たちの申請により、予定より早く第二回の裁判が開かれた。その結果、申立人側の要求通り喜一の準禁治産を認めることになった。喜一の計画は、この裁定にあって挫折してしまった。極度の神経衰弱と疲労で喜一は昏倒した。近親者の間では万一の場合を考えて、中島家の財産をめぐる暗闘が始まった。その夜半、意識を回復した喜一は工場さえなければ皆も一緒にブラジルへ行ってくれると考え、工場に火を放った。灰燼に帰した工場の焼け跡に立った彼の髪の毛は一晩の中に真白になっていた。数日後、精神病院に収容された喜一を原田が見舞いに行くと、彼は見ちがえるほど澄み切った明るい顔で鉄格子の病室に坐っていた。地球を脱出して安全な病室に逃れたと思い込んでいる喜一を前にして原田は言葉もなく立ちつくすのであった。彼の気が狂っているのか、それとも恐ろしい原水爆の製造に狂奔する現代の世界が狂っているのか。

作品データ

原題
I Live in Fear
製作年
1955年
製作国
日本
配給
東宝
上映時間
103分

[c]キネマ旬報社

  • rikoriko2255

    やまひで

    2.0
    2007/1/2

    映画としては、メッセージ性が高く、かなり鼻に衝く作品であり、老け役の三船が好演しているのにもかかわらず、三船のメイクアップが下手なので、残念ながら演技の虚構性が丸見えである。テーマ音楽も何だか安っぽく聞こえ、ホラーイメージが丸出しで気になる。本作品は、こんな限界があるのではあるが、やはり、核兵器の時代に生きる人間の尊厳をテーマにした黒澤の、映画監督としての良心には敬服せざるを得ない。核兵器の恐怖そのものがここでは問題なのではない。その恐怖を理解しながらも、その恐怖に無抵抗で生きている人間存在の受動性を黒澤は問題にしているのである。即ち、ライオンに追われるシマウマの一群の論理である。どの一頭かが食われれば一時はまた平和が草原には訪れる。この一時的な平和の中で、シマウマたちは、次に犠牲になる者を待っている、そのような生存形態の受動性である。三船老人が追いつめられて、最後には、狂気の中で地球脱出を遂行し、そのことで彼は人間の尊厳を再獲得する。この、黒澤が放つ、核兵器時代の人間存在の受動性への痛烈な批判は、現代に生きるものとしてよく受け止めるべきであろう。
     最後に、ひとつ。ラスト・シーンに架かる、精神病院の階段を使った映像の構築性は、さすがは黒澤である。上から降りてくる一団の人間、下から上がってくる志村、無言ですれ違い、志村は、少し遅れた、老人の長女の夫と話して病棟へと入っていく。その後、ショックで打ちひしがれた志村が無言で階段を降りてくるのに対して、老人の二人目の若い妾が、子供をおんぶしながら、階段を上がってくるという、黒澤の映像構成には脱帽せざるを得ない。

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