戦雲アジアの女王:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
戦雲アジアの女王
戦雲アジアの女王
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戦雲アジアの女王

1957年12月28日公開、94分、戦争/歴史
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棋本捨三原作の「或る女の終幕」を関沢新一と小野沢寛が共同脚色し、「湖水物語」(大映)の野村浩将が復帰第一作として監督したスペクタクル映画である。撮影は「憲兵とバラバラ死美人」の山中晋が担当した。主演は新人高倉みゆきと「ひばりが丘の対決」の高島忠夫で、助演は江川宇禮雄、宇津井健、古川緑波、中山昭二など。色彩はイーストマンカラー。

ストーリー

清朝の王族粛親王の第十四王女として生れた芳子は、幼少時を日本人川島浪速の養女として育てられた。養父や関東軍参謀板倉大佐は、美しく成人した芳子を蒙古王子カンチェルチャと政治結婚させようとした。が、芳子は彼女の乗馬の指南役山野少尉を恋していた。陰謀家田代少佐は、二人の仲を割こうと、山野少尉に奉天の特務機関へ転勤を命じた。傷心の芳子にむかって、浪速は日本と満洲と中国とを結ぶためと諭し、蒙古王子との結婚を承諾させた。その結婚式の夜、王宮に蘇炳文馬賊の一隊が襲撃し、王子は敵弾に倒れた。一人残された王妃芳子はその美貌と才智により部下の信望を集め、金司令として三千名の安国軍を統率することになった。芳子は蘇馬賊の兵器入手ルートを探るため、部下一人を連れ敵地にのりこんだが、捕えられた。その隣の室には、部下中田が捕えられたのを助けに来た山野中尉が、やはり捕虜となっていた。その夜、三人は逃亡に成功したが、途中で中田は死に、山野と芳子は散りぢりになった。芳子に板倉大佐が武器調達を許可したことを知った田代少佐は、山野にその輸送隊を爆破せよと命じた。何も知らぬ山野は輸送隊を襲い、謹明に捕った。謹明は山野の銃殺を金司令(芳子)に迫った。芳子は、板倉大佐へ山野引取りを頼み、その護送隊が帰途についた時、蘇馬賊の一隊が襲いかかった。陰謀露顕を恐れた田代少佐の依頼だった。それを知った芳子は安国軍を連れ、山野救出に駈けつけた。馬賊は逃げ去ったが、山野は弾を受けて死んだ。山野の内ポケットから、昔日の二人の写真が出てきた。芳子は王宮の近くの丘に、彼の墓をつくった。--田代少佐は責任を問われて自決した。

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作品データ

原題
Queen of Asia
製作年
1957年
製作国
日本
初公開日
1957年12月28日
上映時間
94分
製作会社
新東宝
ジャンル
戦争歴史


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