ある日わたしは:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
ある日わたしは
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ある日わたしは

1959年9月8日公開、104分
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『若い女性』に連載された石坂洋次郎の同名小説を映画化した青春もの。「社員無頼 (怒号篇)」「社員無頼 (反撃篇)」のコンビ岡田達門と井手俊郎が脚色し「暗黒街の顔役」の岡本喜八が監督した。撮影は「結婚の夜」の飯村正。

ストーリー

城山ゆり子は、K市から上京して洋裁学校へ通う美人で健康な二十歳のお嬢さん、父は弁護士、おとなしい父に、母は平和なうちに何か物足らなさそうなのがゆり子には感じられた。ゆり子の下宿には学校時代の同級生で理工科学生の矢吹がよく訪ねてきた。矢吹は、ゆり子に友情以上の感情を抱いているらしかったが、ゆり子は気の弱い彼に物足りなく思っていた。ある日、ゆり子は矢吹に誘われ県人会主催の学生パーティに出席した。そこで彼女は、県出身の代議士の露骨な事前選挙運動を勇敢に非難した金子大助という医学生と知り合い、その男らしさに魅力を感じた。矢吹を置きざりに大助と会場を出たゆり子は、彼と意気投合した。大助の出現で失恋したと思った矢吹は、ゆり子の同級生で今は女子大生の川村秀子に魅惑された。春休みに帰省したゆり子は大助のことを母に話したが何故か母は二人の恋愛を心配げだった。再び上京したゆり子は、矢吹と秀子が肉体関係を結んだことを知った。一方、医師をしている大助の父が上京、ゆり子との交際に反対のそぶりを見せて帰った。数日後、こんどは、ゆり子が急な母の上京に驚かされた。母は大助の父のことを聞いて帰った。夏休み、大助はゆり子を連れて帰郷した。K市を汽車が通過するとき、健康を害した母が病をおかして二人を駅まで見送ってくれた。大助の家に着いたゆり子は突然電報で呼び返された。母の病状が悪化したのだ。臨終のとき母は、父と結婚する前、大助の父と恋に陥り、すべてを許し合ったことを告白した。すべてを告白した母は、ゆり子と大助が結ばれることを祈って死んだ。父のすすめで、ゆり子は大助と彼の父に、母の死を知らせた。ゆり子は大助と別れようと決心した。しかし両家の親たちの深い理解と愛情で、二人の婚約は決った。

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作品データ

原題
Someday I'll Know
製作年
1959年
製作国
日本
配給
東宝
初公開日
1959年9月8日
上映時間
104分
製作会社
東宝


[c]キネマ旬報社