クンドゥン:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
クンドゥン
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クンドゥン

1999年7月10日公開、135分、伝記
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チベットの指導者第13世ダライ・ラマ(1935~)の成長期に焦点をあて、彼が国外亡命に至るまでの苦悩の日々を、イメージ豊かで思索に満ちた映像と音楽で綴った一大叙事詩。監督は「最後の誘惑」「カジノ」の名匠マーティン・スコセッシで、彼の監督第18作。脚本は俳優ハリソン・フォードの夫人としても知られる「E.T.」のメリッサ・マシスン。製作・共同製作は「キング・オブ・コメディ」(83)以来スコセッシと組むバーバラ・デ・フィーナ。製作総指揮はローラ・ファットリ。撮影は「ビッグ・リボウスキ」のロジャー・ディーキンズ。音楽は米国を代表する現代音楽家で「トゥルーマン・ショー」など映画音楽も手掛ける、フィリップ・グラス。編集のセルマ・スクーンメイカー、美術・衣裳のダンテ・フェレッティは「カジノ」に続く参加。出演は成人したダライ・ラマに扮するテンジン・トゥタブ・ツァロンをはじめ、全員がインド・カナダ・米国などに居住する演技未経験者および演劇学校の生徒たち。

ストーリー

1937年。チベットの寒村、タクツェル村。普通の家庭の末っ子だった幼子のハモ(テンジン・イェシェ・パチュン)は、第13世ダライ・ラマの生まれ変わりを探し求め、長旅を続けた高僧たちによって、慈悲の仏陀、観音菩薩の生まれ変わり、“法王猊下(クンドゥン)”と判断された。2年後、成長したハモ(トゥルク・ジャムヤン・クンガ・テンジン)は母親(テンチョー・ギャルボ)ら家族と別れ、彼らと共に首都ラサへと旅立ち、ダライ・ラマとして生きるための修行の日々に入った。ポタラ宮殿での日々は過ぎて行く。その間、ハモを連れてくるように命じ、彼に初代菩薩の誕生の話を聞かせた摂政レディング(ソナム・ブンツォク)は、かねて僧仲間からの反感を買っていたこともあって退任。ダライ・ラマは後任にタクラ(ツェワン・ジグメ・ツァロン)を定めた。さらに成長し、望遠鏡で外をのぞいたり、ニュースフィルムや文献で海外の事情にも通じるようになったダライ・ラマ(ギュルメ・テトン)。だが、ある日、彼は前摂政のレティングがタクラの暗殺を企てたかどで連行されるのを目撃し、こうした醜い現実からおのれが遠ざけられていることを知って苛立ちを覚えた。折しも中国では毛沢東(ロバート・リン)指導のもと、共産党支配による中華人民共和国が勃興、チベットが中国の領土だと各国にアピールし、さらにチベット政府に同様の趣旨の三つの要求を通告してきた。50年。ダライ・ラマ(テンジン・トゥタブ・ツァロン)は中国の要求を拒否し、戴冠式を執行、政府をインド国境近くのドンカル僧院に移した。インドへの亡命を勧める側近の声を聞きながら、非暴力の立場を貫きつつ、民を守ろうと新たな決意をするダライ・ラマ。だが、現実は厳しく、解放軍将軍は執拗に礼を失した訪問を繰り返し、国連もチベットの独立承認を拒否するに及んで、ダライ・ラマは54年、自ら北京に赴き、毛沢東と会見する。会見の席上、毛沢東は穏やかだったが、最後に冷然と、「宗教は人民の麻薬です」と告げるのだった。帰国したダライ・ラマは激化する解放軍の爆撃と罪なき人民へのいわれなき迫害を目にして、苦悩の末、ついに亡命を決意する。かくして59年、ダライ・ラマはラサを脱出、インドヘと亡命するのだった。

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作品データ

原題
Kundun
製作年
1997年
製作国
アメリカ
配給
東北新社
初公開日
1999年7月10日
上映時間
135分
製作会社
デ・フィーナーキャッパ・プロ作品(カナル・プリュス・イメージ・インターナショナル提供)
ジャンル
伝記


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