静かなアメリカ人:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
静かなアメリカ人
静かなアメリカ人
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静かなアメリカ人

1958年6月24日公開
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「裸足の伯爵夫人」「野郎どもと女たち」のジョセフ・L・マンキーウィッツ監督が、自ら主宰したフィガロ・プロで製作したグレアム・グリーンの原作の映画化。ヨーロッパとアジアの拮抗激しい仏印を舞台に、ヨーロッパ人、アメリカ人の思想の問題や現代人と神の問題等が追求される。脚色もマンキーウィッツ自身が行ない、ヴェトナム・ロケとローマのチネチタ撮影所セットでのキャメラは「空中ぶらんこ」」のロバート・クラスカー。音楽はマリオ・ナシンベーネ。主人公のアメリカ人に「荒野の追跡」のオーディ・マーフィが扮し、「ハッピー・ロード」のマイケル・レッドグレイヴ「乙女の館」のジョージア・モールが共演。「失われた少年」のクロード・ドーファン「他国者は殺せ」のケリマ「巴里野郎」の谷洋子、ブルース・キャボット、フレッド・サドフ等が助演する。撮影にはヴェトナム大統領直接の援助のもと、現地各官庁が協力した。

ストーリー

1950年初頭の戦乱に悩む仏印。英国人記者トマス・ファウラー(マイケル・レドグレイヴ)は、ゲン知人の愛人フォアン(ジョージア・モール)と、夕方のカフェで救援物資班員の若いアメリカ人パイル(オーディ・マーフィ)に会った。ニヒルなヨーロッパ人ファウラーと違って理想家肌のパイルは、仏印における共産主義と植民地主義の紛争の解決を、第三勢力の育成によって結論づけた。ファウラーにとって、あまりに楽天的な彼の態度は腹立たしかったが、フォアンとパイルはダンスを楽しんだ。間もなくパイルはフォアンに、ファウラーの了解をえたのち、結婚を申し込んだ。彼女はファウラーに捨てる気のない限り、彼と別れるつもりはないといったが、不安を感じたファウラーは、故国の妻に離婚申し込みの手紙を送った。次に彼がパイルに会ったのは、民族主義集団カオ・タイの本拠をたずねた時だった。第三勢力結集の動きを風評されるテエ将軍の側近将校と何やら秘密あり気に話していたパイルは、彼に自分の自動車が壊れたからと同乗を乞うた。市内に帰る途中、ファウラーの車もガソリンが切れ、水田の監視塔で夜を明かしたが、共産ゲリラが彼等を襲い、ファウラーはパイルに助けられた。入院中、ファウラーの妻からは離婚を拒む手紙がきたが、フォアンを手離したくない彼はこれを隠した。時もとき、ファウラーは中国人ヘンから、パイルがテエ将軍一派にプラスチックを爆弾の原料として供給していることを聞いた。最近頻々と起こるテロは第三勢力を称える彼等の仕事だというのである。怒りを覚えたファウラーが帰った家には、フォアンの姿は既になかった。それから町には、パイルとフォアンの楽し気な姿が見かけられた。そして、あの歴史に新しいガルニエ広場の謎の爆破事件が起こって、多くの女子供が命を失った。これも、パイル一味の仕事なのに違いない。悪意はないにしても、洞察力を欠いた若者の行動。そしてフォアンの挙就。それを考えるとファウラーの思いは複雑だった。その時、再びヘンが訪れてきて、今夜パイルを河畔の料亭へ誘ってくれ、もし彼が承知したら合図して、彼の処置は我々に任せてくれと持ちかけた。ファウラーに呼ばれたパイルは喜んでやってきた。彼は間もなくフォアンを連れて帰米するという。ファウラーの心はゆらいだ。彼は窓に出て合図の印の本をひろげた。そして、その翌日パイルは死体となって発見された。ビゴー警部(クロード・ドーファン)の訪問を受けた彼は、パイルの右翼との提携の噂が虚構のことだったのを知った。警部は同時に故国の彼の妻の離婚承諾の手紙をもってきた。追いつめられたファウラーはフォアンが働いている酒場に走った。しかし、そこにまっていたのは、彼女の冷たい拒絶の言葉だった。

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作品データ

原題
The Quiet American
製作年
1958年
製作国
アメリカ
配給
松竹=ユナイト
初公開日
1958年6月24日
製作会社
フィガロ・プロ映画


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