十二人の怒れる男(1957)|MOVIE WALKER PRESS
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十二人の怒れる男(1957)

1959年8月1日公開,0分
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「女優志願」のシドニー・ルメットが監督したレジナルド・ローズのTVドラマの映画化。場所を1室に限定して、12人の陪審員によるある事件の審議が描かれる。脚色はローズ自身、TV劇の演出もルメットがあたった。撮影は「波止場」のボリス・コーフマン。音楽ケニョン・ホプキンス。出演するのは「ワーロック(1959)」のヘンリー・フォンダ、「暗黒街の女(1958)」のリー・J・コッブ、エド・ベグリー、E・G・マーシャル、ジャック・ウォーデン、マーティン・バルサム、ジョン・フィードラー、ジャック・クラグマン、エドワード・ビンズら。製作ヘンリー・フォンダとレジナルド・ローズ。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

ニューヨークの法廷で殺人事件の審理が終わった。被告は17歳の少年で、日頃から不良といわれ、飛び出しナイフで実父を殺した容疑だった。12人の陪審員が評決のため陪審室に引きあげてきた。夏の暑い日で彼らは疲れきっており、早く評決を済ませ家に帰りたがっていた。第1回の評決は11対1で有罪が圧倒的、しかし、判決は全員一致でなければならなかった。無罪は第8番(ヘンリー・フォンダ)ただ1人。彼は不幸な少年の身の上に同情し、犯人かもしれないが有罪の証拠がないといった。第3番(リー・J・コッブ)が証拠を読みあげた。殺人の行われた部屋の真下に住む老人が、当日の夜、少年が“殺してやる!”と叫んだのを聞いた。その直後、老人は少年を廊下でみかけた。警察は被害者の胸に飛び出しナイフが刺っているのを発見した。逮捕された少年はその時間に映画を見ていたという。だがその題名は思い出せなかった。第10番(エド・ベグリー)は殺人現場の向う側に、高架鉄道をはさんで住んでいる老婦人が、折から通過した回送電車の窓越しに、犯行を目撃した事実を指摘した。第6番(エドワード・バインス)は親子の仲が日頃から悪いことを重要視した。これに対し第8番はこれらの証言にも、万が一間違いがあるかもしれないと反駁した。陪審員たちは凶器のナイフを再検討した。被告はナイフを買ったことは認めたが、落としてなくしたという。警察は形が特別なもので、被告のものが凶器だと主張した。第8番は同形のナイフを自分のポケットから取り出した。この効果はあった。2度目の評決で第9番目(ジョセフ・スウィニー)が無罪に変わった。味方を得た第8番は、証言の不確かさを次々と反駁していった。第11番(ジョージ・ヴォスコヴェク)は少年が犯人なら、なぜ捕まるとわかっている自宅に帰ったのかと疑った。3回目の評決がとられた。無罪が4人に増えた。第2番(ジョン・フィードラー)が傷口のことにふれた。第5番(ジャック・クラグマン)は飛び出しナイフなら傷口の角度が逆だという。第8番の科学的な分析と、粘り強い説得で、第7番(ジャック・ウォーデン)、第1番(マーティン・バルサム)と第12番(ロバート・ウェバー)が無罪の側についた。いまだに有罪を主張するのは頑固な第3番と、第4番(E・G・マーシャル)と狂信的な第10番だけ。その時、第9番は第4番のかけている眼鏡から思いつき、証人の女が近眼で、彼女の証言が嘘だと指摘した。有罪は第3番だけになった。彼は自分の意見を述べた。が、論旨は通らず遂に自分の敗北を認めた。評決は全員一致で無罪となった。外に出た12人は、互いの名前も知らずに、夕立のやんだ街の中へと散っていった。

作品データ

原題
12 Angry Men
製作年
1957年
製作国
アメリカ
配給
ユニオン提供=松竹セレクト配給
上映時間
0分

[c]キネマ旬報社

  • rikoriko2255

    パライバ

    5.0
    2011/9/17

    裁判の原則は「疑わしきは罰せず」。
    チンピラ青年が、日頃仲の悪かった父親殺しの犯人としてつかまったが、これはもうコイツの仕業に違いない、という思い込みで固まっている陪審員たちの中で、一人だけ8番陪審員が「そんな思い込みだけで有罪としていいのか?」と疑問を投げかけます。
    原則に立ち返ることで、一人また一人と8番陪審員に賛同者が増えていきます。

    ほとんどの場面は陪審員の協議室だけで進行します。
    それでいて観客を飽きさせない脚本も撮影も演出も、勿論出演者もすごいです。

    もうウン十年前、淀長さんの時間かNHKのどちらかで見ました。
    まだ子どもで、「陪審員」という言葉だけ知っている程度だったのですが、グイグイ引き込まれていったのを思い出します。

    ところで、これってこんなに笑う映画でしたっけ?
    判定を変えるところ、その他モロモロ、午前十時の映画祭の相客たちは実によく笑っていました。

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  • rikoriko2255

    ミチさん

    3.0
    2009/7/17

    これは喜劇でしょうか。三谷幸喜はそう言っています。私はこれを淀長さんの「日曜洋画劇場」の封切りで観たような気がします。そしてそのときの印象は「アメリカ人って何て理屈が好きなんだろう!」でした。
    有力な証拠が「証言」しかなく、しかも「再証言」を求めることはできない陪審員たち。その「証言」の確からしさを論理のみで突き崩して行きます。
    何も目撃女性がメガネをかけていたかどうかを鼻の両脇の穴に求めなくても・・・、これは当時からの疑問でした。
    そして似たような状況でひたすら真実を追い求める姿に『きさらぎ』を思い出しました。あれも一室で男たちが論議する話で、似てますね。
    さて、この白人男性のみという設定は現代ではとても受け入れられません。女性も黒人もいなければ、人々は納得しないでしょう。時代が変わったのか、世界が変わったのか。おそらく両方でしょうが。

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    ネタバレあり
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