ルートヴィヒ:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
ルートヴィヒ
ルートヴィヒ
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ルートヴィヒ

1989年3月24日公開、237分、文芸/歴史
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狂王と呼ばれたバイエルン国王・ルードウィヒの波乱と謎に満ちた人生を描いた歴史ドラマ。ルキノ・ヴィスコンティ監督の“ドイツ三部作”最終章。初公開時は契約により短縮版(140分/180分)が上映されたが、今作は1980年にスタッフが没ネガを買い取り、監督の当初の意図通りに再編集した「復元完全版」。出演はヘルムート・バーガー、ロミー・シュナイダーほか。国内では1989年にビデオ発売にあわせ、「ルードウィヒ 神々の黄昏 復元完全版」のタイトルで特別上映された。1995年に行われたオリジナル・ネガ修復版プリントは、2006年9月22日より、東京・Bunkamuraル・シネマにて開催された「ヴィスコンティ生誕百年祭」にて、「ルートヴィヒ 完全復元版」と改題の上、上映された。2016年5月、デジタルリマスター版が劇場上映された(配給:クレストインターナショナル)。

ストーリー

1864年、18歳のルードウィヒ(ヘルムート・バーガー)は、父の後を継いでバイエルンの国王となった。ミュンヘンの城での戴冠式は、盛大に行なわれ、若い繊細な心を持った王が誕生した。ルードウィヒは、オーストリア皇帝の妃である従姉のエリザベート(ロミー・シュナイダー)を慕っており、公的な生活から解放されると、エリザベートと共に、野山を馬で走り、音楽や詩について語り合った。彼はまた、作曲家リヒャルト・ワグナー(トレヴァー・ハワード)に心酔しており、彼のパトロンとなって莫大な費用をかけ、歌劇“トリスタンとイゾルデ”の上演を実現させたりした。このルードウィヒのワグナーへの財政的援助は、しかし、人々の非難を呼びおこしていた。この現実逃避に傾斜してゆくルードウィヒの心を誰よりも見ぬいているのはエリザべートだった。彼女は、ルードウィヒが彼女を慕っていることも承知で、自分の妹ゾフィー(ソニア・ぺトロヴァ)を婚約者として彼に勧めた。1866年、プロイセンとオーストリアとの兄弟戦争で、オーストリアの盟友としての参戦を拒んだルードウィヒは、戦場に赴かず、べルクの城にこもっていた。弟のオットー王子(ジョン・モルダー・ブラウン)は、戦場から焦悴しきって戻って来た。そして、忠実な臣下デュルクハイム大佐は(ヘルムート・グリーム)は、気ままな生活をおくるルードウィヒに現実の辛さを説くのだった。それから間もなくゾフィーとの婚約を受け入れたルードウィヒは、しかし、すでにエリザべート以外の女性ヘの興昧は失せており、むしろ、美しい青年に心惹かれだしていた。結局はゾフィーとの婚約は解消した。そのころ、ビスマルクが提唱していた“大ドイツ統一”が実現することになり、バイエルン王国もそれに加盟することを余儀なくされた。オットー王子が精神に異常をきたすなど辛いことが重なっていたルードウィヒとはうらはらに、かねてから噂になっていた、リストの娘でワグナーのお抱え指揮者の妻であったコジマ(シルヴァーナ・マンガーノ)を夫人に迎えていたワグナーはコジマの誕生パーティを祝ったり、二人の間の子ともども幸せな生活を送っていた。今やルードウィヒに残されたものは、莫大な国財で造らせた三つの城だけだった。孤独にさいなまれた彼はウィーンから役者を招いて、城に造った洞窟で日夜詩を暗誦させたりしていた。この荒んだ王の生活を見かねた有力な貴族たちは、会議を開き、国王廃位を計った。査問委員会を設け、国王に近しい臣下たちから“ご乱心”を立証する証言をひきだし、精神科医グッデン(ハインツ・モーグ)が偏執狂と診断した。ルードウィヒはノイシュヴァンシュタインを追われ、べルクの城で幽閉生活を強いられた。ある日、グッデンを供に連れて庭園の散歩に出かけたルードウィヒは、その夜、湖で溺死体となって発見された。1886年のことである。グッデンを道連れにした自殺だと言われているが、その真相は明らかにされていない。

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作品データ

原題
Ludwig
製作年
1972年
製作国
イタリア 西ドイツ フランス
配給
日本ヘラルド
初公開日
1989年3月24日
上映時間
237分
製作会社
メガ・フィルム=ディータ・ボターリア・プロドゥクツィオーン=ディフィナ・フィルム=シネテル
ジャンル
文芸歴史


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