南海の劫火(1932):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
南海の劫火(1932)
南海の劫火(1932)
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南海の劫火(1932)

1932年公開
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「ストリート・シーン」「チャンプ(1931)」に次いでキング・ヴィダーがアール・ケー・オーのために監督した映画で、リチャード・ウォルトン・タリーの舞台劇を、「南方の放浪者」のウェルズ・ルート、「ハレルヤ」のワンダ・タショック、及び「チャンプ(1931)」のレオナード・プラスキンスが共同で脚色し、「トレーダー・ホーン」のクライド・デ・ヴィナ、「シマロン(1931)」のエドワード・クロンジェガー、「陽炎の春」のルシエン・アンドリオの3人がキャメラを担当した。主役は「エヴァンジェリン(1929)」「やくざ者(1930)」のドロレス・デル・リオが勤め、「街のをんな」「ダイナマイト(1929)」のジョエル・マクリーの他、「我等は楽しく地獄へ行く」のスキーツ・ギャラガー、「今晩愛して頂戴ナ」のバート・ローチ、「少年時代」のジョン・ハリデイが共演する。

ストーリー

暇と金に飽かして南海を探勝するアメリカ人たちのヨットがあった。彼らの目の前に今、絵のように一つの島が浮かび上がった、名も知らぬ小さな島であったが、初めて見る何回の風景、輝く太陽の下にすき透る海面、自然のまえにすくすくと生い育った女たちに、心をひかれ、あり合わせの物品を海中に投じて、原住民たちが海底深く潜るありさまに打ち興じていた。彼らの1人ジョニー・ベーカーは、誤って海中に落ち、鱶に襲われ危ない瞬間を、原住民の娘に救われた。彼女の名はルアナ、褐色の肌色、豊麗な肉体、無邪気な娘であった。その夜は、原住民たちの歓迎の宴だった。ジョニーは、再びルアナにあった。その夜更けての会場で、美しい月光に照らされて2人は、心ゆくまで語り合った。島には島の掟があった、許されぬ恋ではあったが、情熱のほとばしる若者にとって、人種のへだても、言語の不通も問題ではない。友人たちのヨットが島を去った後も、1人留まったジョニーはルアナとの恋を果たそうとした。彼女は原住民たちが神の花嫁に決まったタブーの女だった。その婚礼の夜、ジョニーはルアナを連れ出して、独木船を力の限りに走らした。ようやく見つけ出した児島は、2人きりの世界だった。自然のままの男と女の生活が始められた。情熱と愛情の数日が、この世さながらの楽園が2人のために出来上がった。けれど、その幸福の終わる日がきた。ペレー山の噴火は、原住民たちの目に神の怒りとして映った。彼らは白人との恋に、タブーを破ったルアナを犠牲として供えなければならぬ信じた。海亀を獲物に意気揚々と小屋へ帰ってきたジョニーのために、迎えてくれるはずのルアナがいなかったのだ。ジョニーは生命を賭しても、恋人を救い出そうとして、原住民たちの島へ向かったが、却って捕らえられ、ルアナとともに、堅く締められた上神の犠牲として、火炎を吐く噴火口に投げ込まれようとした。しかし、幸いなことにジョニーの安否を気づかった友達のために、2人の命は危うく救われた。ヨットの内で傷ついた恋人のベッドの側に、ルアナは寄り添っていた。未開の児として生まれ、今日まで育ってきた彼女は、これほど愛しながら、やはりジョニーとの間に、相容れぬ一つのものがあることを悟ってきた。そして、ジョニーの熱が下がらないのも自分がタブーを破ったからではないかと思われてきた。彼を救う道はたった一つしかない。それは、自分が島へ帰り神の怒りを解くことだけなのだ。そう決心した彼女は、最後に熱い接吻を残した後、すやすやと寝入るジョニーの側を永久に離れて、島へ帰った。ヨットは海面を滑り出した。だがルアナの胸の中にジョニーとの数日の楽しい想い出がいつまでも残されていることであろう。

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作品データ

原題
Bird of Paradise
製作年
1932年
製作国
アメリカ
配給
アール・ケー・オー社
初公開日
1932年
製作会社
PKO・ラジオ映画


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