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『3月のライオン』の高橋一生と大友監督が語るプロとしての定義

インタビュー

『3月のライオン』の高橋一生と大友監督が語るプロとしての定義

羽海野チカの人気コミックを実写映画化した『3月のライオン』(前編公開中、後編は4月22日公開)で、神木隆之介演じる棋士・桐山零を応援する教師・林田高志先生役を演じた高橋一生。

メガホンをとったのは『るろうに剣心』シリーズの大友啓史監督だ。将棋の世界に魅了されたという2人にインタビューすると、“プロフェッショナル”にまつわる骨太な論議が繰り広げられた。

『3月のライオン』は、孤独な青年棋士・桐山零(神木隆之介)が明るく前向きに生きる川本家の3姉妹と出会い、将棋を通して成長していく姿を描く感動作。将棋の試合のシーンでは息詰まるような熱戦が繰り広げられる。

何かを極めることの大変さややりがいについて2人に尋ねると、大友監督は野球少年だった中学時代の経験を語ってくれた。

「僕は甲子園を目指していた野球少年でしたが、膝を悪くして野球ができなくなり、そこからグレました(苦笑)。高校で悪いことをして停学もくらいましたし、野球という目的がなくなると長距離も走れなくなりました。でも何かに打ち込み、たとえそれが実現したとしても、その夢は限りがあるところでのゴールなんです。でも本当に大事なのはそこから先。夢を叶えてからの後始末の方が大変で、ドラマとしてはそちらの方に興味をそそられました」。

高橋も「夢や目標を守ろうと思っているうちはダメだということがわかりました」と穏やかな口調で話す。

「手放した瞬間から何かが始まるはずで、そこからが血肉になるというか。夢を叶えてプロになると、それは自分がごはんを食べていく手段になっていくので、僕は頑張っちゃいけないと思うんです。頑張るというのはプロとして当然で、そこからどうするかなんです。夢が叶った後、モチベーションをどう保っていくのかを含め、それこそ手放す先までを見据えておくことが大事だと思います」。

17歳の高校生でプロの棋士として生きる桐山零の孤高さは見ていて痛ましいほどだが、大友監督はそういう姿に心を惹かれると言う。

「僕自身が会社を辞めて組織を離れた人間なので、自分の足だけで凛として立とうとしている人間、立っている人が好きなんです。『るろうに剣心』で剣心を描く時も同じ思いで作りましたが、組織や何かに依存するのではなく、登場人物みんなができる限り自分の足だけで立っていてほしい。結果としてそう見えるのはいいんだけど、僕は寄り添って生きるというのが嫌いで、どこかで個人であることに価値を見出したいと思っている。後編を見ると、川本家もどんどんそうなっていく。あかり(倉科カナ)もひなた(清原果耶)も凛として自分の足で立つことがテーマになっていきます」。

高橋も「僕も寄り添って生きるというのが苦手な人間で、結果として見た時に『ああ、寄り添っていた』と思えるのがいちばん美しいと思います。寄り添おうと思って寄り添ってしまうと、いろんな感情がどうしても生まれてきてしまう。僕は個人でい続けたいです。俳優でいるためには、まず人としてちゃんとしていないといけないし。色々な人の言葉を聞いても、結局決めるのは自分だから。もちろん後で振り返った時、人に助けられたと思うことはありますが、普通は『よっこらしょ』と自分で立ち上がりたいです」。

共にしっかりと地に足をつけている印象だった高橋一生と大友監督は、仕事に対する価値観もかなり似ているようだった。すでに公開中である『3月のライオン』の“闘いの前編”が“愛の後編”としてどう着地するのか。しかと見届けていただきたい。【取材・文/山崎伸子】

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