衝撃作『TAR/ター』で奇跡の復活を遂げた“幻の名匠”トッド・フィールド、16年間の空白を語る【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】 - 4ページ目|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
衝撃作『TAR/ター』で奇跡の復活を遂げた“幻の名匠”トッド・フィールド、16年間の空白を語る【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

インタビュー

衝撃作『TAR/ター』で奇跡の復活を遂げた“幻の名匠”トッド・フィールド、16年間の空白を語る【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

「私にとって映画を作るということは、時間的な制約をはじめとして、様々な妥協をすることにどこまで耐えられるかということなんです」(トッド・フィールド)

――映画を取り巻く環境がまったく異なる日本で生活していると、あなたのように、数々の作品のディベロップに関わりながらも、結果として16年間も新作を撮らないで生活をしていられることに驚かずにはいられません。実際、精神的にも、経済面においても、あなたは大きな困難を感じることなくその年月を過ごすことができたわけですよね?

「まず必要なのは、企画が実現しないことに慣れることです。そして、企画が実現しないことに対してユーモアのセンスを持たなければいけません。一つの企画が実現しなくても、新たな企画を立ち上げ続けて、家に届く請求書の支払いを続けなればいけません。私が幸運だったのは、私が脚本を書くことにお金を払ってくれる人がいたことです。だから、私は16年間ずっと脚本を書き続けることができました。そして、その合間にできるコマーシャルの撮影仕事にもお金を払ってくれる人がいました。私はカメラや撮影機材に囲まれて仕事をするのが大好きで、コマーシャルの仕事はそんな自分の気持ちを部分的にですが満たしてくれます。ただ、脚本の執筆作業やコマーシャル撮影は、ほとんどの場合、役者と一緒に仕事をするわけではありません。そのことが自分の胸にどれだけ大きな穴を開けていたのかについて、『TAR/ター』の撮影の初日にケイトやノエミ・メルランやニーナ・ホスと一緒に仕事をした瞬間に気づかされました。つまり、私は16年ぶりに映画を撮ることで、ずっと感じないようにしていた大きな喪失感に打ちのめされたわけです。いまにして思えば、私がずっと正気を保ってこれたことにも、それで納得がいきます。私は映画を撮る喜びを忘れていたんです」

ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とコラボレーションした、豊かな撮影シーン
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とコラボレーションした、豊かな撮影シーン[c]2022 FOCUS FEATURES LLC.

――ちなみに、日本では企画が実現しなければ、ほとんどの場合、脚本家や監督に報酬が発生しません。

「えっ?本当に?日本では映画が完成するまで仕事の報酬をもらえないのですか?」

――私が知る限りそうです。もし途中でポシャった企画に報酬が発生するとしても、それはごく一部の関係者だけ、それもごく僅かな金額でしょう。

「それは驚きです。私は日本には本物の映画文化があるとずっと思ってきました。実現しなかった映画の脚本に報酬が発生しないならば、脚本家はどうやって生活しているのですか?」

――だから若い世代の専業脚本家、特に映画の専業脚本家はなかなか育たないし、ごく一部の専業脚本家は年に何本もの発注仕事を手掛けることでなんとか生活しているといった感じです。

「それが本当だとしたら、大変なことです。もっと詳しく話を聞きたいですね」


――残念ですが予定の時間をオーバーしてしまったので、最後の質問をさせてください。『TAR/ター』北米公開時、カナダの「Cinema Scope」誌でのインタビューで「この作品が自分にとって最後の映画になるかもしれない」とあなたが語っていて、私は絶望的な気持ちになってしまいました。もちろん、それがあなた自身のクリエイティヴィティの問題ではなく、現在のアメリカの映画界を取り巻く環境の問題であるということは前後のやりとりから理解できるのですが、その後の『TAR/ター』の成功を受けて、あなたが次の映画を撮る可能性も増してきたのではないでしょうか?

「あのインディペンデント・マガジンでのインタビューが世に出て何か月も経ってから、最近になって突然アメリカの大手映画メディアがその部分を見出しにして盛んに報じたせいで、友人や映画業界の知り合いからもたくさんの連絡がきました。『お願いだから、もう1本だけでいいから映画を撮ってくれ』と、とても優しくてうれしい声をたくさんかけてもらいました。言い訳をさせてもらうと、あのインタビューを受けた時、私はとても疲れていたんです。『TAR/ター』を作るために2年近く家族と離れてベルリンで生活をして、借金をしてベルリンの病院に入院して、盲腸を切除し、肺の左右両方が肺炎になって、すっかり消耗していたんです。そして、『Cinema Scope』誌のジャーナリストがとても親切な方だったので、『こんなに大変な映画作りなんて、もう二度としたくない』とつい弱音を吐いてしまいました。

映画への想いをたっぷり1万字超えで語ってくれたトッド・フィールド監督
映画への想いをたっぷり1万字超えで語ってくれたトッド・フィールド監督[c]giulia parmigiani

だから、そう、いまは願わくば、また映画を作りたいと思ってます。私にとって映画を作るのはとても神聖なことで、それ故にあまりにも多くの犠牲が伴うものだから、これまで映画を作らない言い訳をしてきたのかもしれません。でも、今回は(製作のフォーカス・フィーチャーズの親会社である)ユニバーサル・ピクチャーズをはじめとするアメリカの極めて優秀な映画人たち、そしてケイトが、私が映画を作らない言い訳をしないようにしてくれました。彼らは私と映画を一緒に作りたいと言ってくれて、私が作りたい映画を作る上でのすべての問題を排除してくれました。このような状況は、現在のアメリカの映画監督にとって極めて稀なことですし、今後ますます稀なことになっていくでしょう。大抵の場合、映画には妥協が必要なんです。映画を作りたいと思ったら、誰もが様々な制約を受けることになる。なかでも大きいのは時間的妥協です。私にとって映画を作るということは、そうした様々な妥協をすることにどこまで耐えられるかということです。でも、今回は本当に幸運に恵まれました。もしまたこのような幸運に恵まれることがあったら、本心を言えばこれから50本でも100本でも映画を作りたいと思ってます。でも、まあ、そう簡単にはいかないのですが(笑)」

取材・文/宇野維正


宇野維正の「映画のことは監督に訊け」

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