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没後20年、『さらば、わが愛 覇王別姫 4K』でよみがえるレスリー・チャンの揺るがない魅力

コラム

没後20年、『さらば、わが愛 覇王別姫 4K』でよみがえるレスリー・チャンの揺るがない魅力

表現者として自分らしさを追求していったレスリーの軌跡とは

1989年9月に突如、歌手引退宣言をした時は驚いたが、(偶然とはいえタイミング的には)そこにあの主演作、ウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』が差し込まれてくる。日本では1992年に公開。当コラムの導入に紹介した場面は、レスリー扮する主人公がサッカー競技場の売店の売り子(マギー・チャン)を口説くシーンで、別の日には自分の腕時計を1分間眺めさせたあと、「1960年4月16日、3時1分前。君は俺といた。この1分間を忘れない。君とは“1分の友達”だ。この事実はもう否定できない。明日また来る」と目を見つめて言う。これで売り子だけでなく、観客も完全にヤラれてしまった!役者としての魅力を一段と増して、初めて香港金像奬の最優秀主演男優賞を受賞。躍進に拍車がかかり、『さらば、わが愛/覇王別姫』の出演もそうである。

女形の程蝶衣(チョン・ティエイ―)は、共に京劇スターとなった段小樓(トァン・シャオロウ)を想い続ける(『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』)
女形の程蝶衣(チョン・ティエイ―)は、共に京劇スターとなった段小樓(トァン・シャオロウ)を想い続ける(『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』)[c]1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.

ますます演技のキャパシティを広げていき、ピーター・チャン監督の巧みなラブコメディ『君さえいれば/金枝玉葉』(94)では売れっ子の音楽プロデューサー役に。恋人は人気歌手(カリーナ・ラウ)だ。ところが彼女に近づくため男装して歌手オーディションに参加し、バレずに合格した熱烈なファン(アニタ・ユン)をずーっと男性と信じたまま、次第に惹かれていき、「自分はゲイではないか」と悩んだりする。ラストの「男でも女でも――君を愛している」というセリフが印象的。それはレスリー・チャン自身の生き方、「愛の形はいくつもある」との信条と合致していた。

1995年、『君さえいれば/金枝玉葉』は第8回東京国際映画祭の招待作となり、来日記者会見が開かれ、監督、共演者らと出席。ちなみにレスリーは本作で主題歌「追」を唄っており、さらに久々のアルバム「寵愛」も出した。歌手復帰は本格化していき、次のアルバム「紅」の楽曲を中心としたワールドツアーを開始する。ジェンダーレスな演出が各所にあり、香港での最終日には母親と長年の男性パートナーへ感謝の意を表明し、1997年1月からは念願の日本初ライブが実現した。

京劇や北京語を学んで役に挑んだ(『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』)
京劇や北京語を学んで役に挑んだ(『さらば、わが愛/覇王別姫 4K』)[c]1993 Tomson(Hong Kong)Films Co.,Ltd.


続いて9月、日本でも公開されたのがトニー・レオンとカップル役を担った映画、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』(97)である。レスリーのことを“クィア・アイコン”と呼ぶ人は多い。2000年からは「熱情演唱會(パッションツアー)」と銘打ち、再び海外へ。11月〜2001年1月にかけては「PASSION TOUR IN JAPAN」も。長髪ウィッグにジャン=ポール・ゴルチエのアンドロギュノスな衣裳でステージに立ち、ジェンダーレスな志向はいっそう強く打ち出された。表現者としても性差を超えていき、自分らしく生きようとしたのだ。

一方で「僕は百面相だよ。良い役者になるには、多重人格じゃないとね」とも述べていた。遺された数多の作品が証明しているだろう。亡きレスリー・チャンのことを想う――「(映画という)夢で会おう」と甘く囁く声がする。

文/轟夕起夫

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