『惑星ソラリス』『キン・ザ・ザ』…ロシア最大の映画スタジオ「モスフィルム」の100年史|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
『惑星ソラリス』『キン・ザ・ザ』…ロシア最大の映画スタジオ「モスフィルム」の100年史

コラム

『惑星ソラリス』『キン・ザ・ザ』…ロシア最大の映画スタジオ「モスフィルム」の100年史

2023年、ロシアの映画製作会社「モスフィルム」が100周年を迎えた。同社は映画の教科書に必ず出てくる『戦艦ポチョムキン』(25)や、黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(75)など映画史に輝く名作をいくつも手掛けてきた製作・配給会社。モスクワ近郊でいまなお多くの映画を生みだし続けている、ロシア映画を代表するスタジオだ。

【写真を見る】黒澤明が監督し、第48回アカデミー賞で外国語映画賞(現、国際長編映画賞)に輝いた『デルス・ウザーラ』
【写真を見る】黒澤明が監督し、第48回アカデミー賞で外国語映画賞(現、国際長編映画賞)に輝いた『デルス・ウザーラ』[c]Everett Collection/AFLO

ロシア国内だけでなく、チャップリンら欧米の映画人も魅了する作品を発表

モスフィルムが産声を上げたのは1923年。ロシア革命を経て成立したソビエト社会主義共和国連邦のもと、複数の制作会社が統合・国営化されてモスフィルムのベースになる映画スタジオが設立された。その後も組織や名称を変更しながら、1930年代半ばより「モスフィルム」の名称が使われるようになった。

ロシアで映画は人気のある娯楽として定着していたが、政府は政治的プロパガンダのツールとして着目。社会主義を啓蒙するための映画作りを奨励した。そんななか、前衛演劇から映画に転向したセルゲイ・エイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』を発表。映像の組み合わせで物語や感情を伝えるモンタージュを極めたこの作品は、国内だけでなくチャールズ・チャップリンやダグラス・フェアバンクスら当時の欧米の映画人も魅了した。

第一次ロシア革命の最中に起きた水兵による反乱を題材にした『戦艦ポチョムキン』
第一次ロシア革命の最中に起きた水兵による反乱を題材にした『戦艦ポチョムキン』[c]Everett Collection/AFLO

第二次世界大戦後の冷戦時代に突入すると映画のプロパガンダ色は強まったが、フルシチョフ体制のもと1950年代よりソ連は西側との融和路線をとっていく。1962年には偵察兵になった少年を描いた『僕の村は戦場だった』でアンドレイ・タルコフスキーが長編デビュー。その後もモスフィルムから、理性を持つ海のある惑星を舞台にしたSF『惑星ソラリス』(72)、自身の内面を投影した『』(75)などを発表し国際的な評価を得た。


人の潜在意識を実体化する海を研究するため、惑星ソラリスを訪れた科学者が様々な苦難に直面する『惑星ソラリス』
人の潜在意識を実体化する海を研究するため、惑星ソラリスを訪れた科学者が様々な苦難に直面する『惑星ソラリス』 [c]Everett Collection/AFLO

ソビエト崩壊の危機を乗り越えて、年間製作数100本規模のスタジオに成長

ほかにもモスフィルムは、トルストイの代表作を4部作で映画化した超大作『戦争と平和』(66~67)、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(21)の原型として話題になった戯曲の映画化『ワーニャ伯父さん』(71)、退廃的な貴族の暮らしを描いた『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』(77)、生き方を模索する3人の女性を描いた『モスクワは涙を信じない』(80)など優れた作品を多数製作。日本でもカルト的な人気を誇る『豪勇イリア/巨竜と魔王征服』(56)や『妖婆 死棺の呪い』(67)、『不思議惑星キン・ザ・ザ』(86)といったエンタメ作やテレビドラマも数多く手掛け、旧ソ連の映像文化を支えた。

帝政ロシア末期の小説家、レフ・トルストイの代表作を4部作で映画化した『戦争と平和』
帝政ロシア末期の小説家、レフ・トルストイの代表作を4部作で映画化した『戦争と平和』[c]Everett Collection/AFLO

1991年のソ連崩壊で国営だったモスフィルムは打撃を受けるが、その後は業績を回復していき近年は年間製作数100本規模のスタジオに成長。ティムール・ベクマンベトフ製作の『ナイトライダー』(09)などアクション、『フライト・クルー』(16)など災害パニック、『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』(17)など人間ドラマほか欧米市場向けを含め、幅広いジャンルの映画を製作している。