『モンガに散る』ニウ・チェンザー監督「1980年代は台湾にとってエネルギッシュな時代だった」|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
『モンガに散る』ニウ・チェンザー監督「1980年代は台湾にとってエネルギッシュな時代だった」

インタビュー

『モンガに散る』ニウ・チェンザー監督「1980年代は台湾にとってエネルギッシュな時代だった」

12月18日(土)に公開を迎える『モンガに散る』は、第83回アカデミー賞外国語映画賞の台湾代表作品であり、第47回台湾金馬奨においては主演男優賞(イーサン・ルアン)、音響効果賞、最優秀台湾映画新人賞の3部門を制した。また、本年度の台湾映画最高動員記録を樹立し、高い評価を得ている。映画作家の大林宣彦は「美しいメロディーと友情の温り。青春の光と影が果敢ないフィルムの中で躍動する。極道も娼婦も殺し合いも、涙の夢か? 覚めないで、起きないで! いつまでも映画の中で眠っていたい。若い才能が飛び出した。拍手!」と大絶賛し、俳優の大杉漣も「散りゆく男の切なさは極上のものでした!」と語る。そんななか、第23回東京国際映画祭開催時に来日したニウ・チェンザー監督にインタビューした。

――モンガを舞台にした映画を作ろうとという発想はどこからきたのでしょうか?

「モンガという地域は、非常に台湾的なところで、台北の発祥の地なんです。モンガという言葉は、もともとは原住民の言葉で“小さな船”という意味なんですけど、その船が集まるところ、つまり波止場、川のほとりの波止場という意味だったのです。まさに今、台北という大都会がここから発展して、今の都市に成長したという、そういう歴史的な由緒のある地域です。そして清朝の時代から、日本の植民地時代、そしてこの映画の舞台でもある80年代までにずっと、一番栄えていた場所でもありました。そこには、いろんな人たちが集まり、繁栄していきました。しかし、その後は没落していくわけなんですけど、それでも今でも、流山寺などの古いお寺もあり、昔ながらの繁華街の面影のあるところであります。そして昔ながらの住人や、その土地ならではのおいしい食べ物もあります。そうした歴史的なものが色濃く残っている、つまり物語を書くうえで非常に面白い場所なので、ここを選びました」

――時代設定を1980年代にしたのはなぜでしょうか?

「1980年代は、私とこの映画の脚本家のまさに青春時代でした。その時代に子供から大人になり、また当時は本当にロマンチックな時代で、そして激しい時代でもありました。そうした自分たちの個人的な思い入れのある時代であると共に、台湾にとっても特別な時代で、台湾社会が大きく変化した時代でもありました。戒厳令が解除され政治的に開放され、自由な空気が満ちあふれており、また経済的にも急速に台湾経済が発展するという、そういう時代でしたので、非常にエネルギッシュだったのです。私にとっても非常に思い出深い時代でしたので、この時代を選びました」

「それから80年代の風俗が今見ても大変面白く、ファッショナブルでもありました。歌も80年代にはたくさんの良い曲が流行りました。映画の中でエアサプライなどの曲も使われています。また私たちが夢中になって遊んだスーパーマリオのゲーム、そしてウォークマン。私も映画のように、当時好きだった女の子とイアホンを分けて聞いていました。またファッションも、今から見るとかなりモダンでしたね。そういった時代に対する思い入れもあり、この時代を選んだのです。そして私たちも日本の80年代の若い人たちと同じように、アイドルにうつつを抜かしました。皆、松田聖子さんと中森明菜さんのファンでしたし、私自身も近藤真彦さんのような髪型にしていました。そういう特別な年代でもあったのです」

「それからもう1つは、この映画を撮ることで、自分自身が若い頃に戻った気がしたんですね。当時は誰もがそうだったと思いますが、若い時は何も知らず、いろんなことを信じやすい時期ですけど、それがいつの間にか年を重ねることで、いろんなことを経験し、そうした純な気持ちというものが段々なくなっていきます。自分でもなくなったと思ったものが、もう一回、この時代を撮ることによって何かを取り戻したような気がしていたんですね。あの時代、台湾社会はすごく希望に満ちあふれていた時代だったんですけど、今の台湾は欧米化であるとか、経済危機などでちょっと希望をなくした時代でもあります。そうした良き時代を振り返ることで、これからの時代を乗り切るエネルギーを得たような気がしています」【Movie Walker】

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