「2人は本当に親友でした」伝説の映画スター、市川雷蔵と勝新太郎の関係を元大映取締役が語る!|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
「2人は本当に親友でした」伝説の映画スター、市川雷蔵と勝新太郎の関係を元大映取締役が語る!

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「2人は本当に親友でした」伝説の映画スター、市川雷蔵と勝新太郎の関係を元大映取締役が語る!

1969年7月17日に37歳の若さでこの世を去った映画スター、市川雷蔵の没後50年の特別企画として現在東京・有楽町の角川シネマ有楽町にて開催されている「市川雷蔵祭」。その2日目となった24日、市川雷蔵と勝新太郎、山本富士子の3人が共演を果たした井上梅次監督の『女と三悪人』(62)上映終了後にトークショーが開催。大映株式会社で取締役と宣伝部長を務めた櫻井正伍が登壇し、大映が誇る2大スター市川雷蔵と勝新太郎とのエピソードなどを語った。

「市川雷蔵祭」トークショーに、元大映取締役/宣伝部長の櫻井正伍が登壇!
「市川雷蔵祭」トークショーに、元大映取締役/宣伝部長の櫻井正伍が登壇!

「私が大映の宣伝部長をしておりました時、当時は映画が全盛期でまだテレビというものがなく、勝新太郎と市川雷蔵が大スターだったわけです。2人と同じ年代、同じ時期を過ごしたということを誇りに思っています」と2人への敬意を込めて挨拶した櫻井。「大映という会社はすでに解散しましたが、当時作った映画を角川さんに全権引き継いでいただいたことで、このような上映会を続けていただけている。当時の役員だった幹部は全員亡くなっており、私はその生き残りの1人として、これからも日本映画が観直されていくことで改めて評価していただけるのではと感じております」と述べた。

東京と京都に撮影所を構えていた大映に、櫻井が入社したのは昭和30年。「戦争中に映画会社は東宝と松竹の2社にするという軍部の命令があり、新興キネマの先輩方が路頭に迷った。そこで永田さんが軍部や政治家に2社ではなく3社にしてくれと掛け合い、映画づくりが好きな人たちをまとめてもう1社、大日本映画製作株式会社を作りました。それが大映の始まりでした」と大映の成り立ちについて語り「当時は年間100本を製作していましたので、3日に1本仕上げなくてはいけなかった」と振り返る。

【写真を見る】日本映画全盛期の知られざるエピソードの数々が明らかに!雅子夫人からファンへ向けた伝言も
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そしてスターシステムなど当時の映画業界について触れながら、妻で女優の坪内ミキ子との馴れ初めを照れくさそうに語る櫻井は「たまたま雷蔵さんの奥さん(永田雅一社長の養女、太田雅子)と坪内ミキ子は小学校からの同級生。毎日電話してるんじゃないですかね。月に2回くらいは食事をいまでもしております」と明かす。そして「雷蔵さんは仕事を家庭に持ち込まない哲学をお持ちで、監督さんには逆らわない人でしたが、自分の演技に不満があるときは徹底的に監督やプロデューサーとお話しされていました。37歳で亡くなられましたけど、毎日が新婚のような家庭でした」と、大スターの知られざるプライベートの一面にも触れる。

さらに同期入社の2大スター勝新太郎と市川雷蔵の関係について、「その生き様はまったくの正反対でしたが、2人は本当に親友でした。怒鳴り合いの喧嘩してるところも見たことがなく、互いを尊敬しあっていました。生き様や演技、何をやらせてもこなせるということ雷蔵さんに、勝新太郎さんは一歩遅れをとっていたように見えます」と振り返る櫻井。「『雷ちゃんはいいよなあ、あんな素顔で出ててお客来るのに、俺は一生懸命メイクして出ていても来ない』と勝さんは仰っていました。それから10年ぐらいが経って、2人が同じくらいに売れてきた時に、彼らは本当に親友になったと思います」。

雷蔵と勝新太郎の共演作は、『薄桜記』や『弁天小僧』などが上映される
雷蔵と勝新太郎の共演作は、『薄桜記』や『弁天小僧』などが上映される[c]KADOKAWA1959

先々週に雅子夫人とお会いしたという櫻井は、夫人からファンの方々への伝言として「『本当に雷蔵を皆さまが想って支えていただいたことに関して心からお礼申し上げたい。ただ、これまで池上の本門寺に永田雅一さんらとお墓が並んでおりましたが、孫がおじいちゃんの墓は自分たちで作っていつでも行けるようにしたいとのことで、結果的に本門寺から別の墓地へ新しく家族でささやかなお墓を持つことになりました。皆さまの雷蔵は、雷蔵の作品を通して支えていただくということで、今後のお墓詣りはご辞退いただくようご了解いただきたい』と言っておりました」と呼びかけた。

その後、観客からの質問で雷蔵が亡くなった際の大映社内の様子を訊かれた櫻井は「当時は緘口令を敷かれておりまして、私どももガンだということをずっと伏せていました。会社内では、発表と同時に大変な動揺が走ったことをいまでも覚えております」と答え、「もう40年頑張ってもらえていたら、どんな役者になっただろうかと…本当に残念な気持ちでいっぱいです」と口惜しむ。そして「雷蔵の映画は何回観ても良い映画です。みんなに喜んでもらって後世に残していくのだという気持ちは、雷蔵も勝新太郎も永田社長もみんな同じでございましたから、今後も大映の映画を守っていただけるようよろしくお願いいたします」と語った。

「<没後50年特別企画>市川雷蔵祭」は角川シネマ有楽町にて開催中!
「<没後50年特別企画>市川雷蔵祭」は角川シネマ有楽町にて開催中![c]KADOKAWA

今回の「市川雷蔵祭」では代表作<剣三部作>や「大菩薩峠」三部作をはじめ、4Kデジタル復元が行われた『薄桜記』(59)の初披露など170作品の出演作の中から選りすぐられた40作品が上映。また特別企画として雷蔵と勝がカメオ出演を果たした幻の映画『旅はお色気』(61)の上映と、雅子夫人の協力によって公開される貴重なプライベートフィルムの上映も予定されている。この機会に、日本の映画黄金期を支えた伝説の名優の姿をスクリーンで堪能してほしい。

取材・文/久保田 和馬