庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【アマチュア編】高校時代~DAICONを語るトークショー濃密レポートPart2|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【アマチュア編】高校時代~DAICONを語るトークショー濃密レポートPart2

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庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【アマチュア編】高校時代~DAICONを語るトークショー濃密レポートPart2

(Part1からの続き)

【ペーパーアニメ制作と“ガラ”へのこだわり】

庵野「浪人しているときに『ことわざ辞典 へたな鉄砲も数うちゃあたる!』、『みず』、『空中換装』。大学に入ってから最初に作ったのが『バス停にて…』です」

氷川「大学に入って作られているものは課題ですか?」

庵野「そうです。『ファーストピクチャーズショー』という校内上映に出す作品で。当時はまだ若いですから、あまり寝ないで描いてましたね。あとは『レーゾー庫を開けたら戦車がとび出した!!』も課題です。浪人時代にガソリンスタンドのアルバイトでお金を貯めて、東京へ遊びに行ったんです。東京タワーとアニメショップとアニメスタジオに行きたかったので。そのときに、PAF(プライベートアニメーションフェスティバル)を見に行ったんです。PAFは自主制作をしてる全国のグループが上映作品を提出して、回り持ちで上映会をやる。僕は中野でやっていたPAFで、はらひろしさんの『セメダイン・ボンドとG17号』を見たんです。『あ、紙でいいんだ!』という、本当に目から鱗でした。アニメはセルじゃないといけないと思いっていた固定観念がすごくバカらしくなってきて。ペーパーアニメはそこから。『じょうぶなタイヤ!』は“破片”に固執して描いてました。破片に関してはどうしても描いちゃう…。好きなんでしょうね、“ガラ”が。爆発するとコンクリートの破片みたいな燃え殻が飛ぶんですけど、特撮の現場ではそれを“ガラ”と呼ぶそうです。これはやっぱりタツノコプロの影響が大きい。『ガッチャマン』でも爆発で破片が飛んでいくところ、あれがカッコいいんですよ。飛んでくる破片のディティールが細かく描いてあって、そこにしびれてた気がします。ときどきネジの破片が飛んできたりね。『タイムボカン』もすごくよかった。メカブトンの壊れ方にはしびれましたよ。毎回愛情のある壊れ方をしていて、ちょっとずつヘコんでいくとか、タイヤがとれるとか、素晴らしいです」

【DAICONチームとの出会い】

氷川「当時から画と音のシンクロにこだわってますよね」

庵野「効果音も好きだったんですね。特撮は効果音が命じゃないですか。アニメの場合も、黒く塗ってあるとそれが金属なのか、石なのか、木なのかはさっぱりわからないですよね。でもそれが何かにぶつかったときにどういう音を発するかで質感の表現が可能になる。とにかく音は大事」

氷川「そのこだわりが『ウルトラマン』、『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』にも見られますね」

庵野「そうですね(笑)。でも、いま見ると怪獣に興味がないことがよくわかりますね。やっぱり敵は宇宙人じゃないと。敵でも多少は頭が良くないとダメなんですよ。まあ頭の悪い宇宙人も多いですけど(笑)」

氷川「前から仰ってますよね。怪獣より、宇宙人だと(笑)。『帰ってきたウルトラマン』は庵野さんのアマチュア時代の集大成だと思いますが、いかがですか?」

庵野「集大成というか、原点ですよね。何も変わってないですよ。『エヴァンゲリオン』とやってることは一緒です(笑)。『帰ってきたウルトラマン』の原案は岡田(斗司夫)さんなので、やっぱり岡田さんの知識が役に立ってます。今回、通して見て思ったのは、自分ひとりでは全然ダメだったんだなと。ひとりでやってるときと、友達や仲間ができて複数人でやりはじめてからは格段に違っています。僕は人と一緒にやった方が、いろいろな人と仕事をした方が、おもしろいものになるんだなと改めて実感しました」

氷川「やっぱりDAICONのチームとの出会いが大きかったんですかね」

庵野「そうですね。山賀と赤井に出会ったのは『バス停にて…』からなんですけど、岡田さん、武田(康廣)さん、澤村(武伺)さんに出会ったのは『パワードスーツ!』からです。じつは、僕はDAICONに関わるのは面倒くさそうだったので、やめようと思っていたんです。でも山賀が強引に『いや、これは絶対やるべきだ!』と言う(笑)。山賀に引きずられる形で参加しました。『パワードスーツ!装甲強化服』を描いてからなんとかなるかなと。それが、DAICON3のオープングアニメにつながりました」

氷川「そこからは怒濤の作品づくりになるわけですが…」

庵野「やっぱり仲間が増えたことが大きいですよね。あと資金力の面でも。素人の個人では、『帰ってきたウルトラマン』やDAICON3のオープングアニメなんてとても作れないですよ」

氷川「DAICONの『3』と『4』の間、2年ですごい進歩がありますよね」

庵野「スタッフ全体の進歩と、あとはDAICON3のときに誘われて『マクロス』を手伝ったというのは大きいです。あそこでプロの仕事の流れとか、プロの使い方とか、こういう風にしたらアニメはスムーズにできるんだと感じたんです、あと僕自身でいうと、板野(一郎)さんとの出会いですよね。本当にいろいろと勉強になりました」

氷川「全体を振り返ってみて、いかがでしたか?」

庵野「やっぱり恥ずかしいですね(笑)。自分の人生を振り返るような上映にするということだったので、高校時代の恥ずかしい作品も蔵出しでこんな大画面でかけました。改めて見ると、ちゃんと歴史になってますね」

【取材・文/トライワークス】

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