沖縄(1969)
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沖縄(1969)

1970年5月26日公開、195分
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「ドレイ工場」の武田敦が脚本・監督した長編劇映画。第一部=一坪たりともわたすまい、第二部=怒りの島、よりなり共通のテーマは“民族の自覚に燃えた怒り”。撮影は「砂の女」の瀬川浩が担当した。

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ストーリー

〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習が始まり、朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。 〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。

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作品データ

製作年
1969年
製作国
日本
初公開日
1970年5月26日
上映時間
195分
製作会社
劇映画「沖縄」製作上映委員会


[c]キネマ旬報社