三國連太郎
犬飼多吉
水上勉の同名小説を「鮫」の鈴木尚之が脚色「宮本武蔵 一条寺の決闘」の内田吐夢が監督した推理劇。撮影は「路傍の石(1963)」の仲沢半次郎。16ミリからのブローアップ、ネガ像とポジ像を密着してのポジ焼きつけ、現像途中での意識的な露光による「東映W106方式」を採用。1964年12月27日公開予定であったが制作の遅れから、翌年の1965年1月15日公開へと順延、「あの雲に歌おう」との二本立て興行となった。1964年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画5位。
昭和二十二年九月二十日十号台風の最中、北海道岩内で質店一家三人が惨殺され、犯人は放火して姿を消した。その直後嵐となった海で、青函連絡船の惨事が起き、船客五百三十名の命が奪われた。死体収容にあたった函館警察の刑事弓坂は、引取り手のない二つの死体に疑惑を感じた。船客名簿にもないこの二死体は、どこか別の場所から流れて来たものと思えた。そして岩内警察からの事件の報告は、弓坂に確信をもたせた。事件の三日前朝日温泉に出かけた質屋の主人は、この日網走を出所した強盗犯沼田八郎と木島忠吉それに札幌の犬飼多吉と名のる大男と同宿していた。質屋の主人が、自宅に七八万円の金を保管していたことも判明した。弓坂は、犬飼多吉の住所を歩いたが該当者は見あたらず、沼田、木島の複製写真が出来るまで死体の照合は出来なかった。だが弓坂は漁師から面白い話を聞いた。消防団と名のる大男が、連絡船の死体をひきあげるため、船を借りていったというのだ。弓坂は、直ちに犬飼が渡ったと見られる青森県下北半島に行き、そこで船を焼いた痕跡を発見した。犬飼が上陸したことはまちがいない。その頃、杉戸八重は貧しい家庭を支えるために芸者になっていたが、一夜を共にした犬飼は、八重に三万四千円の金を手渡し去った。八重はその恩人への感謝に、自分の切ってやった爪を肌身につけて持っていた。そんな時、八重の前に犬飼の件で弓坂が現われたが、八重は犬飼をかばって何も話さなかった。八重は借金を返済すると東京へ発った。一方写真鑑定の結果死体は沼田、木島であり二人は、事件後逃亡中、金の奪い合いから犬飼に殺害されたと推定された。その犬飼を知っているのは八重だけだ。弓坂の労もむなしく終戦直後の混乱で女は発見出来なかった。それから十年、八重は舞鶴で心中死体となって発見された。しかしこれは偽装殺人とみなされた。東舞鶴警察の味村刑事は女の懐中から舞鶴の澱紛工場主樽見京一郎が、刑余更生事業資金に三千万寄贈したという新聞の切り抜きを発見した。八重の父に会った味村は、十年前八重が弓坂の追求を受けたと聞き、北海道に飛んだ。樽見が犬飼であるという確証は、彼が刑余者更生に寄附したことだ。弓坂と味村は舞鶴に帰ると、樽見を責めたが、しらをきる樽見の大罪は、八重が純愛の記念に残した犬飼の爪と、三万四千円を包んだ、岩内事件の古新聞から崩れていった。
犬飼多吉
妻敏子
杉戸八重
父長左衛門
弓坂吉太郎
妻織江
刈田治助
戸波刑事
佐藤刑事
岩内署長
田島清之助
単本虎次郎
沼田八郎
木島忠吉
朝日館主人
朝日館女中
札幌の警部補
和尚
漁師辰次
下北の漁師
下北の巡査
巫子
大湊の巡査
来間未吉
葛城時子
富貴屋のおかみ
煙草屋のおかみ
小川
鉄
町田
池袋の警官
警視庁の係官
本島進市
妙子
竹中誠一
荻村利吉
唐木刑事
堀口刑事
嘱託医
味村時雄
監督
原作
製作
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
企画
企画
企画
スチール
脚色
[c]キネマ旬報社