香川京子
志野田ふみ子(尾崎)
朝日新聞に連載された石川達三の同名小説を、「鹿島灘の女」の八木保太郎が脚色し、「荷車の歌」の山本薩夫が監督したもので、日教組を背景とした異色ドラマ。撮影も「荷車の歌」の前田実。
S県津田山市。活気のない炭鉱と貧しい漁場の間を街なみが走り、山の麓に小学校があった。新学年が始った。ふみ子は五年三組の担任に決った。夫の健一郎はS県教組の執行委員である。出世主義者で、家庭では横暴だった。数日後、ふみ子は同僚の須藤とともに校長に呼ばれ、退職を勧告された。共稼ぎを理由にして。退職勧告は全国的な規模で行われS県では二六〇人の教師に出された。県当局は、教師の整理で赤字財政を解決しようとしたのだ。国会には教育委員の官選化をめざす法案が提出されていた。--ふみ子と須藤の退職勧告は、組合を通じて正式に拒否された。健一郎は役員改選が迫ると、委員長に立候補した。家を飛び出し、選挙運動に狂奔した。しかし、ふみ子には子供たちがいた。--豪雨が襲った。その雨の朝、教え子の吉男が貨車にひかれて死んだ。普通より三円安いノートを買うために遠い踏切りを渡って行く途中の事故だった。--夏休みの間に、ふみ子は正式に離婚した。選挙に落選した健一郎は東京へ行き、今は立場を変え反動的な論陣をはっていた。ふみ子は、少しずつ組合の仕事に力を注ぎ始めた。最近妻を亡くした沢田先生の級で事故が起きた。小児マヒで足の不自由な内村という子を、同級の与田ら三人がからかったのだ。沢田はこれを見て思わず三人を突きとばした。与田の父親は市の消防団長だった。追従する父兄たちが騒ぎ出した。背後には市のボスたちがいた。沢田は辞職を要求された。組合の力は無力だった。そして、追討ちをかけるように、須藤に四回目の退職勧告が出された。沢田が退職届を出した夜、ふみ子は彼のもとを訪れた。海辺を歩きながら、沢田は言葉少なく自分の考えを語った。ふみ子はその声を聞きながら幸福を感じた。翌朝、須藤から辞表を出すことを書き記した手紙が来た。ふみ子は立ち上った。「わたしは今月から、須藤先生の退職勧告をやめさせるために働きます」と宣言した。ふみ子は校長に会うために廊下へ出た。女の先生が皆立ち上った。ふみ子を先頭に彼女たちは歩いて行った。ふみ子は、強く校長室の扉を叩いた。
志野田ふみ子(尾崎)
沢田先生
一条先生
穴山先生
須藤先生
竹越先生
神倉先生
北見先生
熊井校長
松下校務主任
大久保先生
大谷(給仕の女の子)
安藤用務員
志野田健一郎
庄司春子
吉沢委員長
和田澄江
澄江の夫
与田消防団長
与田消防団長の夫人
奥田夫人
山岸勘吉
山岸夫人
長田夫人
松山夫人
金山の父
浅井の父
浅井の兄
有馬教育長
直木薬局店主
大川市会議員
新井代議士
雲海和尚
刑事A
刑事B
キヨ子(未亡人)
知恵子(キヨ子の娘)
駅長
浅井吉男
内村
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