寺尾聰
私
監督自身が見た“夢”の世界を八つのオムニバス形式で描く。脚本・監督は「乱」の黒澤明。撮影は「優駿 ORACION」の斎藤孝雄と「乱」の上田正治が共同でそれぞれ担当。
【日照り雨】ある日、五歳位の“私”は母に見てはいけないと言われていた狐の嫁入りを見てしまう。家に帰ると母が恐い顔をして立っていた。狐が来て怒っていた、腹を切って謝れと言ってたという。一生懸命、死ぬ気になって謝って来なさいと母は言った。“私”は白鞘の短刀を持って、虹の下の狐の家に行くのだった。【桃畑】桃の節句の日、少年時代の“私”は不思議な少女(桃の精)を見る。少女を追って裏の桃の段々畑に出ると、人間と同じ雛人形が集まっていた。雛人形たちは桃の木を切り倒した“私”の家には行かないと言った。だが、ひとりの女雛が桃の木が切られるときに“私”は泣いてくれたということで、大勢の雛人形が舞を舞って、桃の花盛りを見せてくれた。しかし、気付くとそこには桃の木の切り株だけが残っていた。【雪あらし】“私”たち四人のパーティは、雪山登山中に猛吹雪に遭遇し、視界ゼロの雪渓に迷い、次第に睡魔に襲われる。眠りの中の夢か、幻覚か、吹雪の中から美女が現われ、みるみる鬼女に変わっていく。“私”は正気に戻り、死の眠りに陥っている仲間を起こした。吹雪は弱まり、視界が徐々に広くなる。そして、そのすぐ側に黄色いベースキャンプが浮かんでくるのだった。【トンネル】“私”は陸軍中隊長で、ひとりだけ戦争から生還してきた。トンネルの入口に手榴弾を背負った犬がいる。犬は“私”に向かって怒り吠えていた。長いトンネルを抜けたとき、そのトンネルの中から戦死したはずの野口一等兵が現われる。野口は自分の死が納得出来ず、この世をさ迷っていたのだ。さらに続いて全滅したはずの第三小隊の隊列までも“私”の前に現われた。“私”は戦争のもたらした悲劇の苦しみを味わいながらも、彼らに静かに眠ってくれと哀願する。そして、第三小隊は、出てきたトンネルの中へ、隊列を整えて消えてゆくのだった。【鴉】画学生の“私”は、展覧会場に飾られたゴッホの絵に魅せられているうちに、気付くと「アルルのはね橋」の絵の中を歩いていた。“私”は絵の中でゴッホと出会う。ゴッホは手を休めることなく、精力的にスケッチを続け、終わると画材を担いで次のスケッチ場所を求めて立ち去るのだった。「鴉のいる麦畑」の道を足早に歩いていくゴッホの後姿の前を沢山の鴉が飛び立つ。そして“私”が立っているのは、ゴッホの絵の前だった。【赤富士】遂に原発が爆発した。富士山が真っ赤に溶けていく。逃げまどう群衆。大地が、波が震動し荒れ狂う。“私”はただ絶望的に赤い霧の中で抵抗した。そこへ一人の男が現われる。男は原発の奴らは許せないと言い、海に身を投げようとするが、その男こそ原発に関わる男だった。【鬼哭】遂に地球も滅びようとしている。生きているものは何一つない。だが“私”の前に異様な男が現われる。それは鬼だった。この鬼たちは飢餓に悩まされている。食べ物がないから弱肉強食のように共食いをしているのだった。夕方になると鬼は泣く。死にたくても死ねないから泣くしかないのだ。そして“私”はそんな鬼たちが血の池の回りで泣く、哭く、大勢の鬼の姿を見るのだった。【水車のある村】新緑に抱まれた自然の豊かな村。“私”はこの村で一人の百三歳になる老人に話を聞いた。老人は人間も自然の一部であると説く。そんなとき遠くから村の静けさを破って歓声が聞こえてきた。今日はお祭りですかと老人に聞くと、葬式だという。老人は賑やかな葬列に鈴を持って加わる。“私”はそんな名も知らぬ人の墓石に花を置いて、村を後にするのだった。
私
私の母
雪女
子供を抱えた女
発電所の男
鬼
野口一等兵
少年の私
5才の私
桃の精
姉
パーティの仲間
パーティの仲間
パーティの仲間
少尉
洗濯女
村人
村人
村人
村人
村人
老人
監督、脚本、編集
撮影
撮影
音楽
美術
美術
照明
録音
助監督
演出補佐
プロデューサー
プロデューサー
アソシエイト・プロデューサー
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スチール