織田裕二
勝村寛
学徒出陣した若者の遺稿手記集として戦後最大のロングセラーとなっている『きけわだつみのこえ』を基に、第二次大戦中に青春を送った若者たちの生と死、そして友情を描いた戦争映画。1950年に関川秀雄監督によって製作された「きけわだつみの声(1950)」のリメイク。監督は「ガラスの中の少女(1988)」の出目昌伸。主演の若者たちに、「卒業旅行 ニホンから来ました」の織田裕二と鶴田真由、「わが愛の譜 滝廉太郎物語」の風間トオル、「LEVEL」の仲村トオル、「東京兄妹」の緒形直人、「獅子王たちの最后」の的場浩司らがふんしている。
1995年、真夏のラグビー場で仲間たちとスクラムを組んでいた鶴谷勇介は、ボールを追って相手にタックルした瞬間に意識を失い、次の瞬間には雨に煙る神宮外苑でずぶ濡れになって行進する学生の集団の中にいることに気がついた。鶴谷が周囲の学生にどうなっているのか尋ねると、隣にいた男たちは戦争だと答える。その男たち、勝村寛、相原守、芥川雄三はそれぞれ明大、早稲田、東大のラガーメンだった。生きて再びここでラグビーをやりたいという彼らの言葉に、鶴谷は衝撃を受ける。彼は1943年10月21日に挙行された学徒出陣の大壮行会の真っ只中に身を置いていたのだ。鶴谷は何故兵役を拒否しないのか、何故戦争に反対しないのかと勝村たちに問いかけるが、誰もがそれを一笑に付す。鶴谷は理不尽な命令に従うことはできないと、逃亡者の道を選ぶのだった。陸軍少尉に任官された勝村はフィリピン戦線に送られる。彼は輸送船の中で相原と再会するが、間もなく米軍の爆撃を受け、命からがらリンガエン湾に泳ぎついた。相原は足を銃撃され重症を負う。たどり着いた野戦病院では、橋本婦長、津坂映子ら従軍看護婦たちが、昼夜の区別なく傷病兵の看病に追われていた。勝村はその最悪の戦場で、一機また一機と日本機が敵艦隊に体当たりしていくのを見て“特攻”という作戦を初めて知り、憤りと悔しさで胸をえぐられるのだった。一方、航空隊に入隊した芥川は、特攻志願者を募る司令官の言葉に、親や兄妹、友、美しい山や川、それらを救うためには命を投げ出してもいいと思うようになっていた。特攻部隊に配属された芥川は一日だけの休暇に故郷を訪れ、恋人の三千代の死を知る。芥川は母親と故郷に別れを告げ、出撃命令を受け取るのだった。操縦桿を握って飛び立つ芥川は、なんの気負いも迷いも感じていなかった。フィリピン戦線はさらに激化し、日本軍は各地で敗走していた。野戦病院にも戦火が迫り、勝村の部隊は後退することとなった。既に部隊の半数は戦死し、医薬品も弾も底をついたころ、勝村は相原と津坂映子に負傷兵と看護婦を連れて降伏することを命じた。相原は勝村にも同行をすすめたが、勝村は聞き入れず、投降者の手榴弾をかき集めるとラグビーボールのような固まりを作った。命があったら神宮のグランドで会おうと相原に言い残した勝村は、その手榴弾を脇に抱えると、「最後のトライだ」と叫んで、米軍の陣地に向かって駆けていくのだった。憲兵と警察に追われる逃亡の日々を送っていた鶴谷は、広島への原爆投下のニュースを知った。これで戦争は終わったと確信した鶴谷は「みんな帰ってこい」と仲間たちに呼びかける。その声に応えるかのような勝村や芥川ら戦地に散った者たちの幻を見た鶴谷は、ふと95年の元のラグビー場に戻っている自分に気がつく。彼の周りには、勝村や相原、芥川ら学徒出陣で出会った若者たちがボールを持って立っているのだった。
勝村寛
相原守
芥川雄三
鶴谷勇介
津坂映子
大野木
橋本婦長
原口中尉
近藤中尉
大橋軍曹
馬越上等兵
高倉一等兵
安原クニ子
坂見中隊長
小野寺指令
教官
隊長
司令官
勝村保江
村井秋子
芥川克代
芥川弥生
野川三千代
野川貴美江
相原嚴
相原の母
鶴谷総治
鶴谷タマエ
高見沢教授
大島教授
陸軍将校
各務憲兵大尉
監督
脚本
製作
製作
撮影
音楽
美術
編集
衣装デザイン
衣装デザイン
照明
録音
助監督
監督補佐
企画
プロデューサー
プロデューサー
プロデューサー
製作プロデューサー
製作プロデューサー
製作プロデューサー
スチール
スクリプター
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