「より良い未来への希望はあるか?」ファン・ドンヒョク監督&イ・ジョンジェが「イカゲーム」シーズン2に込めた想いを明かす
2021年9月に配信が開始された「イカゲーム」は、目を引くビジュアルと不思議な音楽のなか繰り広げられるデスゲームという異様さが口コミで広まり、わずか12日間でNetflix史上最大の視聴数を獲得した。翌年のエミー賞では、英語以外の作品で初のドラマ部門作品賞、監督賞(ファン・ドンヒョク監督)、主演男優賞(イ・ジョンジェ)、助演女優賞(チョン・ホヨン)など6部門で受賞するという偉業を成し遂げた。
それから3年、待望のシーズン2が12月26日(木)に配信される。世界中が心待ちにする新シーズンについて、ファン・ドンヒョク監督と主演のイ・ジョンジェにロサンゼルスでインタビューすることができた。シーズン2はいったいどんな展開になるのか。シーズン2に再登場する“メンコ男”を演じたコン・ユのキャスティングの裏話も明かしてくれた。
「シーズン2を通して、『私たちに本当に希望はあるのか?分断し敵対する世界に未来はあるのか?』という問題に焦点を当てました」(ファン・ドンヒョク監督)
シーズン1のラストシーン、ゲームを終え賞金を手にしたソン・ギフン(イ・ジョンジェ)は、娘が住むアメリカへ向かう飛行機に乗らず、この残虐なゲームの黒幕を突き止めることを決意する。ギフンが髪を赤く染めた理由に様々な考察が繰り広げられていたが、イ・ジョンジェは「残酷なゲームとたくさんの死を目の当たりにし、ギフンの中のなにかが崩壊してしまったのでしょう。もう元の世界に戻ることができない象徴として、髪を赤く染めています。だからギフンはゲームに戻るのです」と説明する。
だが、パンデミックと世界的大ヒットを経て数年ぶりに撮影セットに戻ったときは、複雑な心境だったと言う。「とても奇妙な気分だったことを、いまでも鮮明に覚えています。シーズン1で、たくさんの仲間たちが心血を注ぎ、ゲームが終わるたびに多くのキャラクターに別れを告げなければならなかった場所に戻ってきたのですから。まるで地獄に引き戻されたような感覚でした。その感覚によって、監督がギフンに課した葛藤を理解することができました。セットに足を踏み入れた瞬間、今度はもっと多くの人が生き延びてほしいと強く思ったのです」。
シーズン2にはおなじみのゲームや新しいゲームも登場するが、シーズン1でも行われた“ゲーム継続投票”が大きな意味を持つ。ゲームの参加者は、各ラウンドの後に投票を行い、○か×のどちらかに投票する。それぞれの陣営は互いの主張を認めず、ゲームの勝敗とは別の軋轢が生まれる。ファン・ドンヒョク監督は、「シーズン2を制作するにあたり私が念頭に置いていたのは、私たちを分断し異なる立場を生みだし、相手を敵対視する存在に変えてしまう現在の社会のあり方でした。今日、私たちを分断するものは本当にたくさんあります。人種、宗教、言語、富める者と貧しき者、世代間の分裂など。まるで、アメリカとメキシコの間に築かれようとしている壁のように、超えられない一線や壁があるかのように思えます。そして、世界の指導者たちがこのような壁や分断を作り出しているように思えます。シーズン2を通して、『私たちに本当に希望はあるのか?分断し敵対する世界に未来はあるのか?』という問題に焦点を当てました」と語る。
その大きな主題に立ち向かうギフンを演じるイ・ジョンジェも、シーズン1とは比較にならないほどの重責を担っていたことだろう。彼は、シーズン1とは異なるギフンの複雑な状況をどう演じていたのだろうか。「ドラマの視聴者がギフンを愛してくれた理由の一つは、彼の心の優しさでしょう。彼はゲーム参加者の中で、最も強い人間でも、最も賢い人間でもないかもしれませんが、彼ができるわずかな貢献を、他者を助けることに役立てたいと思っています。このシーズンを通じてずっと私の心にあったのは、“良心”でした。良心とは自分の中にあるもので、はっきりと見えるものではありません。ですが、善良な市民として、良心に忠実に行動することが大事です。まるで戦争のようなゲームを繰り広げるなかで、このような疑問が生じていました。『こんな状況になったら、自分はギフンのように行動できるだろうか?』と。ギフンの行動は、すべて彼の良心に基づくものだったからです」。
シーズン1ではゲームに翻弄されるギフンの動揺を忠実に演じたが、シーズン2のギフンは他の参加者の感情を受け止め、行動することに重点を置いていたと言う。ファン・ドンヒョク監督は、さらに大きな問いを投げかける。「シーズン2では、ギフンがゲームの黒幕を見つけ出そうとします。それが彼がゲームに再び戻った理由です。しかし、私がシーズン2と3を通して描きたかったのは、どちらが悪かをはっきりさせ断罪する勧善懲悪ではありません。自分自身にも問いかけたいと思ったのです。”私たち”とは、弱い立場にあるほとんどの人々を指しますが、私たちは世界をより良い場所にするために努力する意志と強さを持っているのでしょうか?人類には、世界の流れを変えるだけの力があるのでしょうか? そして、私たちはより良い世界を築くために、欲望を手放すことができるのでしょうか?歴史を振り返ってみても、権力者が悔い改め世界が変わったことは一度もありません。 そのようなことは起こり得ないでしょう。ですが、その支配下にある大多数の人々――つまり私たち一人一人が、より良い未来を共に築くために変化を起こし、希望を持つこともできるのではないでしょうか」。