マチュー・カリエール
Egon Schiele
28歳の短い波乱の生涯を送ったウィーン表現主義の画家エゴン・シーレの愛と苦悩を描く。監督はヘルベルト・フェーゼリー、脚本はフェーゼリーとレオ・ティシャット、撮影はルドルフ・ブラハセク、音楽はブライアン・イーノ、アントン・フォン・ウェーベルン、メンデルスゾーンなどの曲を使用。衣裳はマリーン・パシャ、ギュンター・ヴァン・フィールが担当。出演はマチュー・カリエール、ジェーン・バーキン、クリスティーネ・カウフマン、クリスティーナ・ヴァン・アイク、ニーナ・ファレンシュタイン、グイド・ヴィーラント、マルセル・オフュールなど。
静かな丘に建つ家。ここで、画家エゴン・シーレ(マチュー・カリエール)は、モデルのヴァリ(ジェーン・バーキン)と共に暮らしていた。若くしてウィーンの絵画芸術アカデミーに入り、その才能が注目され、すでに大家となっていたクリムトのもとで数年学んだ彼は、その後、画質を変えてゆき、アカデミーも脱会することになった。ヴァリはクリムトのモデルだった女性で、今ではシーレの妻同然になっていた。クリムトの〈世紀末象徴主義〉とはどんどん離れて〈表現主義〉に近づいていった彼は、少女の裸体、オナニーする自画像などを手がけていた。そして、近所の少女たちを裸にして絵を描いているということで、人々から悪評を買うことになってしまう。そんな矢先、若いシーレに興味を持った村の少女が、彼の家にずぶ濡れの姿でやって来た。ヴァリのベッドで一晩過ごした彼女は、翌日、伯母の家に行くと言って汽車に乗った。同行したシーレとヴァリは、無事に彼女を送り出した。しかし、数日たって、その少女をシーレが誘拐したという疑いで彼は逮描された。14歳のその少女は、どういうわけか嘘をついているのだ。シーレの家は捜査され、絵やデッサンは押収された。裁判所の独房で屈辱の日々を送るシーレ。ヴァリがひとり奔走して何とかシーレに会おうとするが、それさえも許されない。誰も会いに来てくれない孤独な独房で、彼は、ますます、死への傾向を強めていった。彼はただ普通に暮らすことを望んでいるだけなのに……。“私は山や川や木や草の中にも生命を感じる。それらのどこにも人間と同じような感情があるのだ。夏の木々にも秋を感じることは出来るし、それぞれは、いつでも変化に富んだ表情をもっている。私は、それらを捉えたい。秋の景色を描きたいと思えば、今からでも木々の中に秋、つまり黄色い葉やオレンジと茶の枯葉を思うことができる……”とシーレは独白する。真っ暗な独房の中に、ひとつのオレンジがなげ込まれた。ヴァリが投げたのだ。やっとの再会を喜ぶ二人。しかしシーレの表情は憔悴しきっていた。24日間の留置の後、無実の彼は、やっと解放された。絶望が癒えないままに日々が過ぎ、やがてヴァリとの別離がやってくる。隣りに住んでいる中産階級の娘、エディット(クリスティーネ・カウフマン)と会い、一日で惹かれてしまったのだ。ヴァリと別れた彼は、1915年にエディットと結婚。しかし幸せもつかの間、この年彼は兵役につくことになる。それから2年後、彼はウィーンに転任し勤務時間外にも芸術活動を認められた。エディットが妊娠し、子供を宿した女性を描いた〈家族〉で、珍しく明るさを感じさせるシーレ。しかし、不幸はすぐに訪れた。スペイン風邪で、妊娠していた彼女があっけなく死んでしまったのだ。そして、1818年、エディットの死去した日から3日後の10月31日、彼女の葬儀の日、シーレもスペイン風邪で、この世を去るのだった。彼28歳の若さであった。
Egon Schiele
Vally
Edith Harms
Adele Harms
Tatjana Von Massig
Gerti
Dr. Stovel
監督、脚本
脚本
撮影
音楽
音楽
音楽
衣装デザイン
衣装デザイン
字幕
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