ピーター・ストロース
Otto Klems
北アフリカのアラブ独立運動を背景に、自由と独立のために戦った若き狼の活躍を描く。製作はフランチェスコ・マッツェイ、監督はセルジオ・グリエコ、パオロ・ザッパの伝記「クレムス軍曹」を、ブルーノ・ディ・ジェロニモとセルジオ・グリエコ、フランチェスコ・マッツェイが脚本化。撮影はステルヴィオ・マッシ、音楽はカルロ・ルスティケリが各々担当。出演はピーター・ストロース、ティナ・オーモン、マッシモ・セラート、ピエル・パオロ・カッポーニ、ルチアナ・パルッツィなど。
第一次世界大戦末期の一九一八年、北仏のアルトワの戦いでドイツ軍は大敗を喫し、重傷を負ったドイツ軍の若い将校が捕虜になった。やがて処刑される事になったが、その直前、同じ捕虜の見しらぬドイツ将校から、「外国人部隊にいたオットー・クレムスと名乗れば必ず助かる」と教えられ、一命をとりとめた。その日から彼はオットー・クレイム(P・ストロート)と名乗り、その身をモロッコ外国人部隊に投じた。それから六年経た一九二四年、クレムスは軍曹に昇進していた。やがてアラーの神への信仰を旗印としてアラブ原住民軍が独立戦争の火ぶたを切り落し、各地で蜂起した。クレムスは軍の命令によって部隊を率いてアラブ軍の頭目ベニ・ファタチャの鎮圧と治安のため出発した。戦いは壮烈をきわめた。戦闘中、彼の腹心でアラブ人のアーメッド(P・P・カーポーニ)が逃亡し、同胞の独立軍に身を投じた。翌朝、部隊の駐屯地からの伝令で、クレムスは妻(L・パルッツィ)が要塞に訪ねてきていると聞き、会いに行ったが、それは銃殺されたオットー・クレムスの妻だった。ヨーロッパを五年間、愛する夫を探し続けたという女の哀しみに心痛した。彼は自分の過去を一切捨てる事を決意し一人砂漠の中に姿を消した。かくてクレムスは戦線離脱の罪で追われる事になった。幾日か砂漠の中をさまよい、力つきたクレムスはアラブ人兵士に救出されたが、奇遇にもそこでアーメッドと再会、その日から彼はアラブ独立運動に身を投じる事になった。アラーの神への信仰から近代兵器の使用を拒み続けてきた大砲の扱い方を誤まって、大火災を起こした時、クレムスは火だるまになった首長の娘レイラ(T・オーモン)を救い、信頼を得て、軍の技術顧問となった。戦いは日増しに厳しくなっていった。そしてアーメッドが捕えられ殺された。翌朝、アラブ軍の指導者アブデル・クリム(M・セラート)とクレムスはフランス軍へ先制攻撃をかけたが、フランス軍とスペイン軍が手を握ったために歯が立たなかった。アラブ軍は各地で敗退し離散を余儀なくされた。六ヵ月後、レイラがクレムスの子を産んだ。悲惨な敗北感にさいなまれながらクレムスは妻と子、そして残された僅かな兵を率いてアズデールに向ったが、その途中、フランス軍の機銃掃射に襲われた。身ひとつ隠す事もできない砂漠の中で、妻と子が殺され兵士たちも死んだ。一九二六年、クレムスは、フランス軍駐屯地で捕虜生活を送るクリムの部下に変装して潜んでいたところを見破られ逮捕された。その後助命騒動によって死刑をまぬがれた彼は、南米の仏領ギアナに終身刑の犯人として送られた。それから九年後の一九三五年、クレムスはエソで病死した。囚人ナンバー〈52342〉と記された墓標の下に、数奇な運命のもとに戦った彼の魂が眠っていた。
監督、脚本
脚本
脚本、製作
原作
撮影
音楽
字幕監修